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 2020年03月16日
 

式辞に代えて

「忍耐と時、この二人の戦士ほど強いものはないのだよ」

 これはトルストイの『戦争と平和』に出てくるクトゥーゾフ将軍の言葉です。1812年、大陸封鎖令に従わないロシアに対して、フランス皇帝ナポレオン1世は64万人の大軍を率いて攻め入ります。一方、ひたすら退却を続けるクトゥーゾフ将軍は、ついにモスクワをも放棄してまたも退却。しかも、その大切な街に自ら火を放って・・・。

 このあとのロシアの大勝利と歓喜は、文庫本4冊の大作で味わってください。長い春休みにぴったりだと思います。できればチャイコフスキーの「大序曲1812年」も聴いてみましょう。ラストの大砲や鐘の乱打に痺れること請け合いです。

 さて、この数週間、みなさんは学年末試験に備え、熱心に学習に励んできたことと思います。そうした中、本校が試験を中止したことにより、今年度の最後の試験にもかかわらず学習の成果を発揮してもらえなくなったことを大変心苦しく思うと同時に、みなさんのせっかくの意欲や努力を形あるものとして受けとめることができず、大変申し訳なく思っています。

 私自身は、「今大切なこと」と「学校としてあるべきこと」を頭に描き、今回の判断を下しました。それが正しい判断だったかどうかは、正直なところわかりません。しかしながら、少なくともこういうことは言えると思います。たったひとつの模範解答がないまさにこの時代、国も自治体も、専門家も門外漢も、試験を実施する学校も実施しない学校も、熟考と議論を重ねつつ、もがきながら、最適解を見つけようとする過程を経て、それぞれが真剣に判断を下しています。

 みなさんには、この大変な混乱の時を変革・開発・挑戦の時として捉えなおし、実りある春休みにしてくれることを願っています。

 すべての学校と生徒にエールを!

 最後に、今年度第2学期始業式の式辞を再掲し、みなさんへのあいさつとします。

令和2年3月16日
京都府立南陽高等学校・附属中学校
校長 越野 泰徳


 おはようございます。

 みなさんもテレビ等でご存じのとおり、この夏は高校野球でのピッチャーの登板回避が大きな話題となりました。

 7月に行われた岩手県大会で、高校生歴代最速の163キロの記録を持つ大船渡高校の佐々木朗希(ささき ろうき)投手が決勝戦に登板せず、2-12で花巻東高校に大敗しました。すでに435球を投げていた佐々木投手の故障を懸念した國保陽平(こくぼ ようへい)監督の判断でしたが、その後、「甲子園出場」と「選手の故障リスク」をめぐって賛否両論が巻き起こり、議論は今も続いています。
 これまでの高校野球の常識では、決勝戦にも登板するのが当たり前であり、登板させなかった監督の判断は従来の価値観ではおよそ考え難い、常識はずれなものでした。

 どちらが正しいのかと言われると、私自身も確かな正解はわかりません。
 しかし、世間の常識を鵜呑みにせず、モノゴトを冷静に考察し、自分の信念に基づいて、自分の責任として行動を起こした國保監督の英断には拍手を送りたいと思います。

 また、このように、前例踏襲、横並び、事なかれ主義という古い思考を脱却し、自分の頭で考え、最適解を出そうする姿勢が徐々に現れてきていることに、私はこの国の未来についての明るい期待をいだいています。

 國保監督の言葉「投げられる状態ではあったけど故障を防ぐため。私が判断しました」
この、「私が判断しました」という毅然とした言葉を聴いた時に私が思い出したのは、昨年のサッカー・ワールドカップ・ロシア大会です。

 昨年の6月28日、サッカー・ワールドカップの対ポーランド戦の最後の10分。日本代表チームは攻めることを放棄して自陣でパスを回し、負けて1次リーグを突破することを選びました。
 やはり大船渡の國保監督同様、この判断を下した西野監督の姿には凄みを感じました。
 スタジアムに響くブーイング、選手やファンの失望と不満、マスコミによるバッシング、その後の監督本人の精神状態。それらを誰よりも先に予想していたのはやはり西野監督でしょうし、今回の國保監督自身もそうであったと思います。
 それらすべてを引き受けようという覚悟に、私は本当のかっこよさを見ました。あの絶対的な孤独感にしびれました。

 いつの時代もやる人はやるし、やらない人はやらない。

 何もしなくてもボコボコに叩かれることはありません。しかし、何かをするとボコボコに叩かれます。叩かれるとわかっていてもやるべきことをやる人を私は尊敬します。

 夏期講習や探究学習、部活動、またみなさんの興味・関心に応じた挑戦等、それぞれに充実した夏休みを過ごされたことと思います。
 また、2学期早々には南陽祭が控えています。みなさんが輝き、このハレの日を存分に楽しんでくれることを期待し、2学期始業式の式辞とします。