桃映中学校の宝
① 校名の由来は?
生徒に校名の由来を聞くと、ほとんどが分からないと答えます。私も、長年勤務しましたが、はっきりとしたことは知りませんでした。ところが、本校の同窓会長を長くお世話になった塩見敏治様から「平成22年3月18日に同窓会をやりたいので、一度世話人の9名で学校におじゃましたい。」とおっしゃって平成21年12月4日に来校されました。
塩見敏治さんは昭和25年3月18日に卒業された第1回卒業生(363名)でもあります。昔話をする中で校名の由来を聞いたところ、次のようなことでした。「昔、現在の成美大学の敷地、五位坂から荒木にかけては、屋号「桃久」なる方が桃を栽培しておられ、桃畑が広がっていたとのこと、近くには、桃池もあった。昭和24年4月30日に校名変更により現在の桃映中学校になった訳ですが、その際、教育委員会が校名を募集したところ、当時、勤務されていた芦田三郎先生が桃が映えている学校をイメージして、「校名 桃映」で応募され当選となったそうです。」と聞きました。さっそく、芦田三郎氏に聞いたところ、「そのとおり」とおっしゃいました。
現在、桃映中学校の校庭に咲く桃の花
②玄関の2つの築山は?
本校に入るとすぐに築山が2つあります。なぜここにあるのでしょうか。当時は、校門を入るとすぐに職員室、図書室を備えた校舎がありました。玄関の左右に五葉松が2本植えてあり、それは立派な松でした。私が昭和56年からお世話になった当時は、美術室兼倉庫として使用されていました。しかし、あまりにも老朽化が進み、安全面で問題があるとの理由で解体することになりました。問題は、立派な五葉松をどうするかでした。造園業者が買いたいと望んでいましたが、当時、本市の市長であった塩見精太郎氏もこの松を知っておられ、ここが桃映中学校の玄関であったことを後世に残そうということで、解体後は、玄関に築山をつくり移植しようということになりました。当時の足立柳太郎校長は、この松を大切にされ、私に肥料や草刈りをしてくれるように依頼をされたものです。しかし、昭和58年の大雪で枝が折れ、その後、アブラムシが松をむしばみ、枯れてしまいました。その後、長く捨て置かれましたが、桃の木やつつじを植えていただき、今日に至っています。いつまでも大切にしたいと思います。
校舎玄関の左右に植えてある五葉松
当時では珍しい総天然色の校舎写真 当時の生徒が描いた校舎のスケッチ
③体育館の卓球場にある大きな鏡は?
体育館2階の卓球場に「第1回卒業生 謝恩」と書かれた鏡があります。「このような鏡がなぜ体育館にあるんだろう」と卓球場に行くたびに不思議に思っていました。第1回卒業生が同窓会を開くとのことで、来校され、卒業記念に自らの名前を書きしるした鏡を贈ったとの説明を受けました。この鏡は、開校以来、桃映中学校の歴史をいつも写してきました。本校の歴史の中で体育館が焼けたことがありましたが、奇跡的に焼失をまぬがれて、現在の卓球場におかれるようになったそうです。歴代の校長が引継をするときには、「この鏡を大切にしなくてはならない。ゆめゆめ動かしてはならない。」と言われてきました。この鏡は、まさに本校の喜びも、悲しみを写してきたのです。
いつまでも大切にしていきたいと思います。
今も体育館二階にある鏡