先輩からのメッセージ
高校生の時は、いろいろ周りのことが見える分悩んだり、文化祭の裏方で頑張りすぎてしんどくなったり、とても繊細な部分を持つ生徒でした。しかし、彼の人柄のよさや誠実さでそのたびに友人に支えられていました。(その分、彼も友人を支えていましたが。)久しぶりに会った印象はとても逞しくなったなあ、俯瞰的な目でさまざまなものを見ることができる人になったなあ、というものでした。悩み多い後輩に何かメッセージを書いて、と頼むと快諾してくれました。
こんにちは、2016年京都こすもす科人文社会系統卒業生の菊池凌央と申します。1年間の予備校生活の後、東京大学文科Ⅲ類・同大学文学部人文学科倫理学専修を卒業し、現在はPwCグループのStrategy&という戦略コンサルティングファームで働いています。
https://www.strategyand.pwc.com/jp/ja/about.htmlオフィスのあるOtemachi One、東京都千代田区
今回、高校時代の3年間、担任としてお世話になった先生から「卒業生からのメッセージ」のお話しを頂き、筆を執っています。高校時代は、とても褒められた生徒ではなかった私ですが、当時の私に伝えたいことや高校生のうちに知っておきたかったことを今の戦略コンサルという仕事の経験から3つお伝えできればと思います。3つに題名をつけるとすれば、以下のようになります
「『悩む』と『考える』は別物」
「構造化して考える」
「論理と知識の前に感情」
いずれか一つでも心に留まるものがあれば幸いです。
「『悩む』と『考える』は別物」
みなさんはこういった経験はないでしょうか。
・数学のテストとき、解き方を考えているはずが気づけば「分からない「難しい」で頭がいっぱいになっていた。
・模試の志望校の判定を見て、志望校を変えようか、どこを勉強すべきか考えているはずが、「やばい」「しんどい」と思って気づけば30分以上悶えていた。
いずれも、高校時代の私が経験したことですが、みなさんにも似たような経験があるのではないでしょうか(勉強に限らず、部活や人間関係など)。もちろん、これは考えていたはずが、いつしか悩んでいた例です。
『悩む』と『考える』の違いは以下のように説明されます。
・『悩む』=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
・『考える』=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
(『イシューからはじめよー知的生産の「シンプルな本質」より引用』)
文章で書かれると両者の違いは明確ですし、「悩むのではなく、考えるべき」と言われても当たり前のことだと感じられるかと思います。
私がここで伝えたいのは、何も悩まないようにすべきということではなく、考えているはずがいつしか悩んでしまっている時に、自分を俯瞰してみようということです。そうすることで、悩んでいる自分を認知し、「何で悩んでいるのだろう」と『考える』ことができます。
もちろん難しい問題ばかり考えても答えは出ないかもしれませんし、そもそも答えのない問題かもしれません。ただ、『悩む』ことは気持ちに負担がかかる一方で『考える』ことは頭に負担がかかるので、幾分精神的には楽になります。(テストで10分考えて分からなければ他の問題を解こうとよく言われますが、効率面だけではなく精神面にも良いんじゃないかと思っています。)
気持ちの浮き沈みの大きい高校生活の中で大いに悩むことも重要ですが、少しずつ考える時間を増やしていくことが納得のできる進路選択に繋がると思います。
次回に続く