学校生活School Life
2021年2月19日。
峰山高校にて探究の最終報告会が実施された。
彼らにとっては、今まで約1年かけて取り組んできた探究活動に一旦区切りがつく日。
朝出勤した際にいつもに比べて、職員室の雰囲気が妙にそわそわした感じだったのは
生徒一人ひとりが抱える想いが空気にのって伝わってきたからかもしれない。
「とにかく自分たちの"好き"を誰かに伝えたい!」とか、
「自分たちなりに立てた仮設を検証した結果、驚くべき事実を発見したんだ!」
など、それぞれ抱えている思いは違えど、何かしらの強い意志を持ってこの日を迎えたのだろう。
裏話をするとこの最終報告会を開催するにあたって、様々な議論があった。
一番の論点はやはり、感染症対策のこと。緊急事態宣言も発令されている中で、
実施すること自体が難しいのでは、という意見もあった。
制限される部分は多いし、前例のないリモートでのやり取り、
発表を見学する生徒たちのコントロールをどうするか、など実施する場合に考えられる問題点、
懸念点はどんどん出てくる。その分、仕事も増えることが目に見えている。
それでもやっぱり、程度に差はあれどここまで頑張ってきてくれた生徒たちの一つのゴールとして発表の場、
表現する機会を作ってあげたい。
そして後に続く後輩のために、その姿を見てもらいたい。
今の峰高生の現状、そして将来の可能性を地域の方たちにも知っていただきたい。
ある意味、高校にとっては大きなチャレンジであったが、先生方の強い思いが実施するという決断の後押しをした。
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始まりは、美しいピアノの音色で幕を開けた。
※このピアノは世界でも有名なスタンウェイピアノである。
単なる報告会だけ終わらせるのでは勿体ない。「何か人をワクワクさせる気持ちを!!」という企画者の
想いがこのピアノ演奏に繋がった。
「君を乗せて」
きれいな音色は聴く者たちを魅了し、「いよいよ始まるぞ!」という程よい緊張感も運んできてくれる。
演奏終了後には、始まりにふさわしい凜々しい声で挨拶をする司会者。
今回は感染症対策の関係で、外部の方々とはリモートで繋ぐスタイルに。
発表したのは、約50のプロジェクト。
プロジェクトの動機の部分は、多種多様で面白い。
「大好きなものをとことん追求したもの」
「日常生活や学校生活における疑問や違和感を出発点に問題提起をするもの」
「故郷、丹後と改めてじっくり向き合ってみたもの」
モネとピカソが大好きな二人の発表。手振り身振りを使ってのプレゼンからは、二人のプロジェクトに対する
熱量が伝わってくる。表情からは「大好き」があふれているのが素敵だった。
ボランティアについて発表を。ハキハキと通る声が体育館に響いており、彼女らしさがにじみ出た
良い発表だった。笑顔がとってもすてき!!
アニメの魅力を。アンケート調査などを有効に使ってアニメというものを様々な切り口から分析していた。
へ~、そうなんだ!という新しい気づきがある面白い発表だった。やっぱり好きなものを語る時の表情が
生き生きしているのが素晴らしい!! 聞いている者までハッピーになる。
「数学を好きになってもらうためには」というテーマで探究をしたグループ。
確かに数学に苦手意識を感じている人って多いな...。
だけどみんなが楽しそうに語るから、何だか面白いものなのかも...、と少し考えを改めることができた!
丹後の数ある伝承の中から、鬼について掘り下げたグループ。「鬼とは一体何であったのか」という問いから
スタートし、地域の歴史博士にもお話を聞いたり、諸説を調べたりする中で自分達なりの答えを導いた。
もう少し時間があれば、もっと深掘りできたのにな、とちょっぴり悔しそうな場面もあったが、
面白い切り口だった。
発表している際のキリリ、とした表情も良い。
最後に「時間が足りなかった!! もっとやってみたいこと、学んでみたいことが出てきたタイミングで
最終報告会が来ちゃいました...。」
と話してくれる生徒さんもいて、試行錯誤しながらもやってきた意義があったな、と喜びがこみ上げてきた。
1年間、本当にお疲れ様。
上手くいかなかったこと、苦しかったこと、行き詰ったことなどたくさん経験したと思う。
先ずはここまで頑張ってきた自分たちに拍手を贈ってほしい。
よくやったな、と褒めてあげて。真剣に物事と向き合ってきたその過程は、君たちの財産となっているはず。
そしてもしこの1年間のプロジェクトを通して、「もしかしたらちょっと自分変わったかも」と
感じている生徒さんがいたら、それはものすごくラッキーだ。
なぜなら通常、人は「変化」を嫌う生き物だから。「変化」を恐れる生き物だから。
人は過去に自分が築いてきた自分こそが「本来の自分」だと考える。
自分の中の常識や価値観が外からの刺激によって、崩されそうになったとき変化を恐れて
その場で踏み止まってしまう傾向にあるのだ。
だけどその変化を戸惑いながらも受け止め、面白がることができたならそれは君が、
前にいた場所よりも進んだ証。君は確実に成長している。
1年前の自分を振り返ってみて、今君はどんな姿をしているだろう?
最後にそれぞれ良いことも悪いことも含めて色々な思いを抱えていたと思うけど、
ここまでついてきてくれて本当にありがとう。
これをもって今年度のいさなご探究の授業は終了したが、君の人生はこれから先も続いている。
ぜひ、ここで学んだ様々なことを今後の生き方にも活かしてほしい。
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ここからは、「探究」について少し考えたい。
「探究」と一言で言っても、切り口によって考え方は変わってくるので、
私が考える「探究」の本質やその意義、面白さといったものをこれから何回かにわたって
お届けしたいと思う。
まずは探究の「原点」について。
私は、これについては「あそび」が全ての出発点になっていると考えている。
誰しもそうだと思うが、遊んでいるときや何かに夢中になっているときは
時間がたつのが異常に早く感じるだろう。
小さな子どもたちを思い浮かべてみると非常に分かりやすい。
彼らは遊びの天才だ。遊具を差し出すと、目を輝かせる。
何もない原っぱなどでも新しい遊びを発見する。
見て、触って、嗅いで、聞いて、味わって...。
全身を使って、色んなものを吸収しようとする。いちいちリスクの計算なんかしない。
自分の好奇心の赴くままに果敢にチャレンジをする。しかも全力で楽しみながら。
成長すると関心を寄せるものは変化するが、結局「あそび」の原理は変わらない。
あそびとは、「学校生活や仕事、暮らしにおける違和感や疑問、こんなことできたらいいな、
やってみたいなという素直な感情に従って行動していくこと」ではないだろうか。
つまり、主体は"自分自身"である。
そしてこれを突き詰めていくと、必ずぶつかることがある。
ほかの誰かに話しを聞いてみないといけないとか、法律を知る必要が出てきたり、
仮設を立てて検証してみたいなと感じたり、社会情勢や文化、歴史的背景を理解しなくちゃいけなかったり...。
本気で物事と向き合えば、きっとそういったことが起こってくるはずだ。
そして、その状況の中で生まれる「学び」というのは"必然性"があるので、楽しく主体的に取り組むことができる。
また、小さなチャレンジを積み重ねていくことで自信がついたり、
視野や選択肢が広がっていくことも大きな意味での「まなび」と言っていい。
さらに重要なのが、違う立場や背景の人との交流もまた、「まなび」をもたらしてくれる。
こうして考えていくと、深い「まなび」は一人では得ることが難しい。
いろいろな人と関わって、"あそんで"対話を繰り返す中で、私たちは揺らいでいく。
その「揺らぎ」を丁寧に解きほぐす作業こそが、探究だと考える。
だから探究の原点は「あそび」なのだ。
あなたと誰かの間で、問い問われることを通して自分を知っていく。そして、他者を理解していく。
関わり合いの中で、「揺さぶられる体験」こそが、人生を豊かにしてくれる。
探究って大変そうやな。何かすごいめんどくさそう...。
そう思っている人たちもまだまだたくさんいるだろう。
だけど、はまればみんなが想像している以上に面白く、奥が深いものなのだ。
もしこれが理解できたら、きっと君は人生を賭けて「探究の沼」にずぶずぶと浸っていくことになるだろう。
自分の感情に素直になればいい。難しく考えなくていい。ただ初心に返ろう。
君が全力で面白がれる「あそび」は何か。
ほら、仲間も集まってきた。
「一緒にあそぼ!!」「うん、ええよ!」
こうして面白がりながら社会と交わっていけばいい。
「あそび」が生まれる場所はいつだって、クリエイティブ(創造的)であるのだから。
(続く)