学校生活School Life
さぁ、やってきました! 楽しい歴史の時間でございます。
きっと多くのみなさんがご関心のある分野ではないでしょうか。
前回「鬼伝説」の記事で、紹介させていただきました
「地域の伝承マニア」の田茂井さん。
今度は「丹後地域の伝承から故郷の魅力を掘り下げる」グループの生徒たちから猛烈な
ラブコールを受け、再びお呼びしました! さすが、高校生からも愛されていますね。
早速、対談を開始。
一番初めに田茂井さんから高校生メンバーへ質問。
「君たちは、丹後の伝承を調べて最終的に誰にどんなことを伝えたいの?」
「僕たちは、どちらかというと地元の人たちに向けて丹後の魅力を伝えたいんです。
僕たち自身そうだったんですけど、調べていく中で実は丹後ってすごい歴史が深いことに気がついて。日本最古だといわれる伝承もたくさん残っている。ここを掘り下げていくと、何かすごい大きな発見があると思うのですが、この「古代丹後の物語」のスケールの大きさにすごくワクワクするじゃないですか。地元の人が知っているようで、本当は知らないその魅力に迫りたいと考えています!!」
ふむふむ、なるほど。
「なぜ丹後地域には多くの伝承、いわゆる物語が残っているのだと思う?」
「う~ん、どうしてだろう?」
「物語というのは、世の中が動くことによって人から人へ伝えられながら生まれるわけだ。
そこにはたくさんの人々の交流があったんだよ」
そんな冒頭から対談は幕を開け、私たちは気がつけば「丹後」という深い深い迷宮の中へ迷い込むことになるのです。
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丹後半島が古代から、海外との交流があったことを裏付ける証拠が主に2つあります。
1つは伝承(伝説)、そしてもう一つは遺跡や出土品です。
まず伝承(伝説)の視点から見てみましょう。
伝説の宝庫、丹後半島。特に有名なのが「浦島伝説」と「羽衣伝説」で、
この二大伝説は、二つとも丹後にあります。さらにいずれも文献学上、書き記されたものとしては、
丹後のものが最古であり、ここから伝説発祥の地と考えられます。
何より、海にかかわる伝説が非常に多いという特色もあります。
海を渡った伝説、海の向こうから来た伝説、
これらは古代大陸と交流があったことを示す証といえるのです。
遥か昔、科学技術も発展しておらず、旅が命懸けであった時代。
様々な事情を抱えた人々が山を越え、海を渡り日本大陸に上陸しました。
命懸けの冒険の末、たどり着いたその場所がまさに丹後半島であり、
そこは海を渡ってきた人々の玄関口となったのです。
その時、持ち込まれた重要な文化は今もなお、丹後半島の基幹産業として受け継がれています。
それが、農業・織物・金属加工・観光です。
人々の生活は豊かになり、栄えていく。そして、たくさんの物語が生まれるのです。
「今でこそ、グローバルな世界って言われるけど、本当は遥か昔からこの辺りは
圧倒的にグローバル化が進んだ土地だったんだ」
ここで面白い豆知識を。
かの有名な某携帯会社のCMに登場する「三太郎」をメインとする様々なキャラクターたち。
あの子たちのルーツは、何かしら丹後に繋がっています。
「浦ちゃん」こと浦島太郎はいわずもがな日本最古の「浦島伝説」。
「金ちゃん」こと金太郎は、源頼光と出会い、仲間とともに大江山(丹後半島の付け根に位置する山)へ
鬼退治に行く。その鬼、「鬼ちゃん」はCMの中で、「桃ちゃん」と友達だったことが発覚。
みなさん、覚えているでしょうか?
鬼退治に向かう「三太郎」たちの前に鬼が登場した「鬼、登場」篇のCMを。
鬼退治に向かっていた3人の前に鬼が現れた時、最初に「桃ちゃん」が鬼に歩み寄り、
「久しぶり~」と軽い挨拶をした後、
「あれ?金ちゃんの鬼退治とおんなじ鬼?」と聞く。
つまり、桃太郎がかつて倒した鬼が「鬼ちゃん」であり、
金太郎たちと鬼退治に向かった先でその鬼と再会したわけです。
鬼を介して桃太郎にも丹後との関わりがあったことがわかります。
「かぐちゃん」や「織ちゃん」は、羽衣伝説。
そう考えていくと、あのCMのキャラクターってみんな丹後にゆかりがあるのか!! と
みんなで驚く。キャッチーな話題だからこそ、これは発表の際にも上手く使えば面白くなりそうです。
次に考古学的視点から見た海外との交流があった証を。
それは数多くの巨大な古墳とそこからの出土品です。
例えば、旧峰山町と旧弥栄町にまたがって位置する「大田南墳墓群」
ここから青龍三年の年号が刻まれた鏡が出土したのですがこの年号、中国の魏の年号で235年のこと。
それは、卑弥呼が遣使する4年前の年号なのです。
また、「大田南二号墳」から出土した後漢の画文帯神獣鏡、これは2世紀後半に中国で制作された鏡で、
中国との独自の交易により入手したと考えられます。
その他にも3000年前の中国で使用されていたとされる土笛や、耳飾り、
銅銭(中国・新の王莽の時代)などが出土されています。
このように、丹後は伝説、考古学的見地から見てみると、弥生時代から国際交流を行う中で繁栄し、
あの大和政権にも影響を与えるような、力を蓄えてきた王が存在した可能性があると捉えることができるのです!!
こうして紐解いていくと、すべては「人類の歴史」と繋がっており、
ひいては丹後の歴史が世界の歴史と絡み合っている証拠なのですね。
私たちは、世界史と日本史を別々に学習するため、どうしてもそれらは別のものとして
考えがちですが、世界史の中の日本史であって、その日本史の中に丹後の歴史が眠っているのですから、
すべては繋がっています。
古代の人々が築きあげてきた歴史という物語の続きを私たちが今、生きているのです。
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田茂井さんから語られるあまりにもスケールの大きなお話を聞いて、改めて歴史の奥深さに気づかされました。
なんてドラマチックなのでしょう...!!
丹後にはまだ解き明かされていないミステリーがたくさん存在しています。
掘り起こしていく価値のある、非常に面白い地域であるのです。
知っているようで知らない僕たちの故郷、丹後。
この素晴らしき町の魅力を僕たちがみなさんに最大限お届けしたいと思います!
最後に目を輝かせながら意気込みをぶつけてくれたメンバーのこの後のアクションに
期待したいと思います。
参考文献
『ヤマト政権誕生と大丹波王国 国宝「海部氏系図」が古代史を書き換える』
伴とし子(新人物往来社)
『古代丹後王国は、あった 秘宝「海部氏系図」より探る』
伴とし子(MBC21京都支局・すばる出版)
《続く》