将来を見据えて

セルフアドボカシー

セルフアドボカシーとは

 自己権利擁護(自分の権利を守る)という意味です。
 子どもたち一人一人には学ぶ権利があり、権利を行使する主体者です。文部科学省が掲げる「主体的・対話的で深い学び」は、まさにこのことを体現しており、「個別最適な学び」は、学びの主体者である子どもたちが権利を行使するための重要な要素の一つです。

セルフアドボカシーにおいて大切なこと

 「自分のことを知ること」と「他者に意思表明すること(自分の置かれた環境に働きかける)」だと言われています。

主体的に学ぶためには

  • 自分が何が得意で何が苦手なのか
  • 何が好きで何が嫌いなのか
  • 苦手なことや嫌いなことにどうしたら臨みやすくなるのか

等を把握しておくことが必要です。それが、様々な経験を通して、自分一人でできること、ICTを活用すれば自分でできること、人に手伝ってもらえばできることに整理され、合理的配慮を求める動きに繋がっていきます。

指導助言

 東大先端研では、DO-IT Japan(http://doit-Japan.org)という、大学進学や就労を目指す障害や病気のある児童生徒に向けた教育プログラムを長年行っています。そのプログラムで大切にしていることは、合理的配慮の考え方に基づいてICTを活用し、教育や雇用など社会参加の機会を最大化していくことと、その際に、障害や病気のある児童生徒・学生本人が、自身の意思決定に基づいて、必要だと考えることを周囲に対してセルフ・アドボカシー(自己権利擁護)していくことを尊重しています。一人一人が自分なりの希望や意思決定をはぐくんで行くためには、児童生徒・学生自身が、合理的配慮の元になった理念である「障害の社会モデル」の考え方を知り、自分の障害の個別の状況について理解を深め、ICT等による環境調整によって自分の状況にどのような変化が起こるのかを体験することが重要と考え、さまざまな機会提供を行ってきました。
 
 学校は、セルフ・アドボカシーを学ぶ場になることができます。ただし、その学びの本質に近づくためには、学校や教員による、時には大人がハッとさせられるような子どもたちの権利主張を公平に受け止め向かい合うことができる、骨太で胆力のある取り組みが必要です。障害の社会モデルや合理的配慮の具体的方法に関する深い理解を関係者ではぐくむことや、アセスメントや移行支援、学習権の保障に効果的に取り組むことができる体制整備が不可欠です。表面的なセルフ・アドボカシー教育は、一つ間違うと、児童生徒自身の権利を保障するためのものではなく、教員にとって扱いやすい子どもを育てる教育になってしまうかもしれない、と(私自身を振り返ってのことでもありますが)いつも自省しながらの実践が必要です。


 「学ぶ権利の保障」は何も障害や病気のある児童生徒に限ったことではありません。すべての児童生徒にとって、共通して必要な観点です。学習障害や発達障害、見えない障害や病気、重篤なアレルギーなど、さまざまな事情は多くの児童生徒に分け隔てなく存在することが認められる時代になりました。視点を変えてみれば、それは児童生徒だけに必要なことではなく、教師自身にとっても、同じようにアドボカシーのニーズが存在することでもあります(教師だって、障害や疾病による合理的配慮を主張しても何もおかしくありません)。すべてにとって、関係者全員にとって望ましい答えはありません。目に見える形で知られるようになった利害や主張の衝突を、忌避すべきことではなく、どのようにお互いに歓迎し合い、認め合いながら、問題のある状況を一歩でも望ましい状況に近づけていくか。教員にとっても、児童生徒にとっても、そのほかの関係者にとっても、公平な立場で話し合える環境と関係作りを目指していかねばなりません。

 あまり大上段に構えてしまうと、ものすごく大変なことに思えるかもしれませんが、この3年間の取組では、セルフ・アドボカシーの芽生えとそれを支える先生方の働きかけを目にする機会がいつもありました。子どもたちの学ぶ機会を広げたいと願う教師と、ただただ学びたいと望む子どもたちが出会って、合理的配慮とICT活用、客観的アセスメントと移行支援のような学びを支える取組が行われるとき、やがて子どもたち自身から「私は、こういう方法だったら学べる、こんなふうに学びたい」という言葉が発せられます。それがセルフ・アドボカシーの出発点です。
(平成30年度研究 東京大学先端科学技術研究センター 近藤 武夫 准教授)

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