
沿革概要
昔、当地区は吾雀荘と呼ばれ、七つの郷からなっていた。明治22年の市町村制により志賀郷村となり、昭和30年に綾部市と合併し現在に至る。
校区は、綾部市の北西寄りに位置し、JR綾部駅より約12㎞の所にあり、地形は東西7.7㎞、南北4.8㎞で、その面積の64%は山林が占める農山村である。内久井に源を発して南流する犀川は、北は西方、南は篠田よりそれぞれ支流を合わせて、物部、豊里を経て由良川に合流している。
人口は明治9年の3,506人、昭和29年の3,606人を最高にその後、減少の一途をたどり平成29年4月現在、戸数511戸で1,203人となっている。また、児童数も同じ傾向がみられ、明治42年から昭和30年代までは500名余りの児童数を誇る学校であったが、昭和55年153名、63年120名、平成5年84名、11年には45名と減少をたどり少人数校となっている。その後は、概ね50名代を維持していたが、令和5年4月1日現在の児童数は41名である。現在の学級数は特別支援学級、複式学級(第4・5学年)を入れて6学級である。
昔から、地域全体に「山に良材、里に人材」の気風が強く、地域・保護者の教育に対する関心は非常に高い。
児童数・学級数(令和5年4月1日現在)
41名・6学級
校歌
木枝 増一 作詞
杉本 秀治 作曲
1 山は緑に水清き
自然の胸にわきおこる
まことの心培いて
学びの道にいそしまん
2 七つの里ゆ通い来る
わが兄弟は睦びもて
村のふみをば飾るべき
学びの道にいそしまん
沿革史
明治6年 | 志賀郷興隆寺に「到広館」を開設 |
8年 | 西方独立し、井岡に「金声校」を設立 |
10年 | 金河内・内久井の両村独立して「竜河校」を設立 |
18年 | 到広・金声・竜河の三校を合併して、「志賀小学校」と改称 |
20年 | 「志賀尋常小学校」と改称 |
26年 | 「高等小学校」を設置 |
32年 | 「志賀尋常高等小学校」と改称 |
42年 | 校地を沖田の現在置に改築移転 |
昭和16年 | 「志賀国民学校」と改称 |
22年 | 何鹿群志賀郷村立志賀小学校と改称 |
30年 | 綾部市に合併「綾部市立志賀小学校」に変更 完全給食実施 |
34年 | 学校プール完成 |
37年 | 新校舎落成 |
42年 | 体育館落成 |
48年 | プール浄化装置完成 |
54年 | 志賀小学校簡易水道完成 |
62年 | 市水道導入工事完成 |
平成元年 | 緑の少年団結成 グランド排水工事完成 |
4年 | プール浄化槽改修 給食室改修(回転釜設置) |
5年 | 調理室完備(理科室分離) |
9年 | プール改修(防水、洗体槽、シャワー等) 京都府教育委員会教育実践パイロット校(同和教育)研究発表会開催 |
12年 | 集落排水接続 トイレの全面改修 |
13年 | 給食室全面改修 南校舎ひさし改修 |
14年 | 学校評議員制導入 |
15年 | 地域ふれあいフォーラム |
17年 | ジャングルジム・登はん棒遊具設置 市スローガン塔設置 |
18年 | 教職員評価制度実施 |
19年 | 特別支援教育実施 市民駅伝競走大会男子チーム優勝 |
20年 | すべり台設置 「みんなで読もう!1000万冊読書キャンペーン」京都府知事賞受賞 |
21年 | 全国日本学校関係緑化コンクール国土緑化推進機構理事賞受賞 |
27年 | 綾部市小中一貫教育開始 |
28年 | 綾部市小中一貫教育 何北ブロック小中音楽会発表 |
29年 | 京都府教育委員会「京都式チーム学校推進校」指定校 体育館電灯LED化 |