6月20日(水)、2・3年生は長岡京記念文化会館で「遥かなる甲子園」を鑑賞しました。
1964年、東京オリンピックの年。
沖縄で風疹が猛威をふるった。その時の妊婦から産まれた子どもの多くが、聴力障害を持っていた。 その子どもたちのために一過性の「ろう学校高等部」がつくられる。
ろう学校生の一樹は、かつて沖縄代表の応援に駆けつけたとき、そこで『音』を見た。 「ルールに基づいて繰り広げられる戦いに、ろうあ者も健常者もない。」
一樹の想いに賛同して野球好きの仲間が集まり、校長の許可を得て彼らは野球部を作る。
打球音も聞こえず、会話も困難で危険性のある中、彼らは手話をコミュニケーションとして、ただひたすら、高野連に加盟し、そして甲子園出場の夢のために日々猛特訓を続けていた。
しかし「高校野球憲章第三章」は一樹たちの思いとは裏腹に、ろうあ者を初めから除外する規定になっていた。 甲子園の道は堅く閉ざされた...。打ち砕かれそうになる一樹を支えたのは、共に頑張ってきた仲間であり母であった。
加盟をめぐってさまざまな思いが交錯するなか、マスコミや世論にも押されて野球連盟も重い腰を上げ、加盟を審査するためのテスト試合が行われることになった―――。
関西芸術座HPより引用