強い意志と思いやり

先輩からのメッセージ  

   今回の先輩は、以下の文中にもありますが、勉強はもとより、部活動、学校行事など、とにかく目いっぱいの高校生活を送っていた先輩です。得意・不得意、好き・嫌いに関わらず、どの科目にも熱心に取り組み、教養のすそ野を広げていました。興味・関心のある分野が多岐にわたる生徒は多数いますが、地道な学習に裏打ちされた彼の姿勢は常に「本気」だったと言えます。目標を定めてからは、その実現に向けて粘り強く努力され、現在、地域医療現場で多くの人々の支えとなっておられます。
 ますます多忙を極める地域医療現場にありながら、後輩へのメッセージ寄稿を依頼しましたところ、快諾していただき、業務の合間を縫って送ってくださいました。

■自己紹介

現在、京都府北部の市立福知山市民病院で血液内科を専門とし、内科・救急を通して地域医療を実践している、西山大地(37)と申します。2000-2003年に嵯峨野高校京都こすもす科自然科学系統で学びました。浪人を経験した後、奈良県立医科大学で医学を修学し、医師となってからは初期臨床研修・後期研修、京都府立医科大学大学院医学研究科血液内科学で専門性を深め、現在に至っています。今後も京都北部地域(ある意味過疎地域)で医師として地域医療を実践し、地域の方々の健康と安全を守るために貢献していきたいと考えています。

■なぜ医療の道を選んだか

元々京都北部の福知山市(三和町)で幼少期を過ごしていたため、嵯峨野高校へは下宿生(寄宿生)として進学しました。私の学年は3人の下宿生が在籍し、高校1年から親元を離れて生活していました。嵯峨野高校を選んだ理由は、単純に“面白そうな高校”と直感が働いたからです。京都文化論・超伝導の実験など、大学顔負けの研究をするなど独自性が輝いていました。今でこそ大学進学や受験などで有名ですが、私は当時、受験の“じゅ”の字も考えず嵯峨野高校を選び受験しました。

 前置きが長くなりましたが、私が医学の道を選んだ理由、それは「母の死」です。嵯峨野高校に入学して間もなく、それまで癌で闘病していた母が42歳の若さで亡くなりました。
高校生活はとても楽しみました。超伝導実験や京都文化論、英語スピーチや地学部活動、文化祭の演劇、日々の勉強、シンガポール修学旅行など、純粋に楽しい時間でしたが、「喪失感」がなくなることはありませんでした。進路を考える頃になり、「母の命を奪った病気、特に癌に立ち向かいたい」という思いが強くなり、医学の道に進むのが最もその目標を達成するのに近道だと考えるようになりました。受験勉強・浪人生活を折れずに乗り越えられたのは、根底にある「癌への憎しみ」「癌に立ち向かいたい強い気持ち」があったからだと思います。

 医学の道に進んでからもそれぞれの専門、研究、教育、地域特性などで様々な道(活躍できる分野)がありますが、現在抗癌剤を扱う血液内科を専門とし、緩和医療や予防医学で目の前の患者さんと接し、地域に貢献したいと考えているのは、そのようなことが動機になっていると思います。

■高校での学びと大学での学びの繋がり

 嵯峨野高校では自然科学が好きで興味を持って学んでいました。単に受験のツールとしてだけではなく、自然現象の法則性や成り立ちを興味と好奇心を持って学び、そのことは現在の自分において、生体機能の理解、薬物の生体内での動態、代謝などの理解につながっています。また英語に関してはどの分野に進むにも国際共通言語として当たり前に必要となります。嵯峨野高校で英語教育に力をいれていただいていたことは、大学での学びや医師になってからの日々の研鑽においてもとても役にたっていると考えます。

 また、私は当時「京都文化論」※において、京都の企業の成り立ちについて調べてまとめました。医学の分野においても、産学連携や製薬企業とのコラボレーションがあり、京都の企業を通じて学んだことが企業を身近に感じる契機となっています。
※かつて(京都こすもす科開設時に)開講されていた専門科目です。

2021年4月 嵯峨野高校同級生の結婚式にて(了承を得て掲載)                                        筆者は最前列の一番左                                           

【次回に続く】