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大切にしたい日常

 

 連日、先生方の楽しいメッセージが続いていますが、私の話は楽しい話ではないですが読んでください。私は、苦しいときに脳裏に浮かぶ2つのシーンがあります。一つは、高校時代にやっていた野球のノックシーン、体力的に苦しくなると朝方の夢に、倒れそうになりながら右に左に白球へ飛びつく自分の姿がでてきます。そして、もう一つが今からお話しするシーンです。

 高校野球の指導者を目指していた私は、ティモンディで最近耳にすることが多い済美高校野球部の初代監督である上甲監督に憧れて、済美高校がある愛媛県の大学に進学しました。しかし、大学に入った私は、硬式野球部に在籍するでもなく、たまに高校野球を見に球場に足を運ぶだけの平穏な毎日を淡々と繰り返す大学生活を過ごしました。理学部に在籍した私は4回生になり卒業研究のために生態学ゼミに所属しました。そこで、研究の指導をしてもらうことになった大学院の先輩は私と同じ教員を目指す人でした。プロ野球のスカウトを親戚に持つ先輩とは数日で意気投合し、数千万円もする高価な分析機械を扱う緊張する研究でしたが楽しく1か月を過ごしました。

 5月になり、先輩は海の研究をするためにスキューバダイビングの免許を取りに海洋研究所へ数週間行くことになりました。先輩は大学から離れた海洋研究所に行く前日、機械のメンテナンスを私に頼むと満面の笑みで研究室を後にしました。その二日後、前日遅くまで分析研究していた私は、昼頃に大学に行きました。そこで、私は先輩が海で溺れて病院に運ばれたことを知りました。急いで、研究室の仲間と車を飛ばして病院向かった私が見た光景は、病院の地下霊安室に真っ白で穏やかな顔をした先輩の姿でした。先輩が亡くなったことを受け入れられない私は、研究室のソファーでボーとしながら数週間を過ごしました。そして、私の中で固まった決意は、大学院に行って研究を次の後輩につなげること、もう一つは、先輩がそうなったであろう生徒に多くのことを伝えることができる教員になるということでした。そのために必要なことは、これまでのように毎日を淡々と過ごすのではなく、平穏な毎日を、先輩が過ごせたであろう毎日を大切にしていくこと。それ以降、精神的に苦しいことがあると、先輩の笑顔と霊安室での先輩の姿が浮かび、絶対に負けるかという気持ちに何度となくなりました。

 ここのところの臨時休業中、久しぶりに先輩の姿が浮かんできました。皆さんにとって、先の見えない毎日が続いていると思います。しかし、生きていれば平穏な日常は必ず戻ってくるはずです。私たちは、生き続けたくてもそれが叶わなかった人たちの分まで、平穏な日常を大切にしていくべきだと思います。今は、決して平穏な日常ではありません。不安や先のことを考えると気が滅入ってしまうこともあると思います。しかし、やってくる平穏な日常を満喫するため、今いるそれぞれの場での毎日を大切にしていきましょう。 副校長 

 
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