あの頃の私

先輩からのメッセージ

 ある日の「〇〇ステーション」に今日の日本が抱える教育課題について語る国家公務員が出演されていました。落ち着いた語りではありますが、あの頃の面影がはっきりと見えました。
今回はそんな先輩の経験談です。

こんにちは、京都こすもす科(人文芸術系統※) 第5期生(平成15年3月卒業)大野 雅史(おおの まさし)といいます。京都大学法学部を卒業後、文部科学省に入省し、15年目を迎えています。現在は期間限定で島根県教育委員会に出向中です。
  ※現在は「人文芸術系統」と「国際文化系統」を統合し改編のうえ
  「人間科学系統」となっています。

 [仕事選び]

教育行政に携わってみて、改めて、その凄さを実感しているのですが、嵯峨野高校は、一般的な「勉強」に留まらない独特のカリキュラムに基づき、様々な地域から集まる個性豊かなクラスメイトたちと学びを深めることのできる学校・学科だと思います。私の頃よりさらに進化した嵯峨野高校で今、学べる皆さんが羨ましい限りです。

そもそも、今の職業を選ぶきっかけ、と言えることは、嵯峨野高校で、個性的できらりと光るクラスメイト・先生方と出会い、自分の人生が大きく変わったという思いがあり、そこから学校教育の重要性を実感したことが根底にあると思います。

そして、その後のサークル活動などの経験を通して、自分自身がプレーヤー(学校教育で言うと教員)になるよりは、プレーヤーが最大限力を発揮できる環境を整えることに、やりがいを感じる性格だと気づきました。文部科学省では、国全体の視点で制度・枠組自体を変える大きな仕事が出来るとともに、教育だけでなく、科学技術・文化・スポーツと幅広い業務を経験できること。また、職員の方々の雰囲気が柔らかく、自分に合っていると感じたことなどなど様々な理由が思い起こされます。

ただし私はサークル活動等に没頭しているうちに、就職活動の時期を逸してしまい、新卒でないと就職上不利になるということをちゃんと理解しておらず、とても慌てました。最終的には、文部科学省に滑り込みで就職できたので結果オーライなのですが、いま思うと相当危ない橋を渡っていました(汗)。 

[高校時代]

2人のクラスメイトと一緒に、とある伝統芸能に関するフィールドワークに行った際、事前の勉強・研究が不十分で的確な質問等ができず、かなり早い段階で見学を打ち切られてしまったこと(先生にはおそらくバレてなかったはず(笑))

本当は遊び程度にしかやってないのに、調子に乗って「ギターが弾ける」と呟いた結果、文化祭で演奏する羽目になったこと(幸い、ごく短時間の簡単なフレーズだけだったので、必死で練習して何とか事なきを得ました(汗))。等々

たくさんの焦った(今となっては楽しい)思い出があります。

中でも一番きつかったのはセンター試験(現在は共通テスト)本番、国語の時間に、寝不足と緊張、問題の難しさなどが相まって、頭が真っ白になり、かなりの問題を勘でマークすることにり、当然ながら結果も散々で、志望校を決める際にかなり悩むことになりました。でも様々な人の励ましがあり、自分(のやってきたこと)を信じて、第一志望校を変えずに突っ走り、何とか結果オーライとなりました。周りの人の声に耳を傾け、最後は自分を信じてよかったと思っています。

 〔大学での専門〕

京都大学法学部は非常に自由な雰囲気で(卒論なし、ゼミも必須ではなかった)、特定の専門を突き詰めるというよりは、憲法・民法・刑法といった基礎的な法令のほか、行政法、労働法・労働政策、法社会学などを幅広くつまみ食いしていました。専門科目以上に、教養科目(例:哲学・倫理、言語学、中国古典、脳科学、宇宙)が楽しかったことが印象に残っています。何か一つに決めきれない、決めたくない人にはオススメです。高校の勉強も何かに絞るのではなく、いろんな科目を幅広くしっかり学んでください。そしてその上で何か一つに打ち込むことが大切だと思います。

長くなりましたが、語りつくせません。何か気になることがありましたら、気軽に(先生を通じて)御連絡下さい。
私の拙い経験談が後輩の皆さんのお役に立てればこんなにうれしいことはありません。