【学校図書館】先生からのバトン

 先生方による不定期のエッセイコーナー。今月は上柿絵理香先生が書いてくださいました。

『待てない私、待ちたい私』

 「夜ご飯は回転寿司にしよう。」そう決めたら、すぐさま予約サイトを開く。指先を少し動かすだけで、数分後には順番を押さえられる。逆算して出発すれば、店舗での待ち時間はほとんどない。遊園地ではファストパスを、録画番組ではCMスキップ機能を。私は、待ち時間を減らすための工夫に囲まれて生きている。便利に、合理的に、効率的に。その快適さに慣れすぎたせいか、「待つこと」がだんだん苦手になってきている自分に気づく。
 その点、かつての私はもう少し「待つこと」に寛容だった。回転寿司の受付で「うわ〜、今日60分待ちか〜。」と文句を言いながらも並んでいたし、いとこと行った遊園地では、真夏の炎天下で300分の待ち時間を耐え抜いたこともある。
 待ち時間は、確かに退屈だった。好き好んで待ちたいとは思わなかった。だけど、待ち時間が生むのは「退屈」だけではない。今はそうも思う。長く待ったからこそ、好きなネタが回ってきた瞬間にいっそう気分が上がったし、300分並んだ後のジェットコースターは爽快だった。待っている間にたくさん話せたことも、今では大切な思い出だ。
 待ち時間が、その後の感動を増幅させることがあるのだと思う。それは、その時間が「感性を研ぎ澄ませる時間」になるからだ。美味しいお寿司を食べているところを想像したり、友達の話に耳を傾けたり。一緒に待っている誰かと、あるいは自分自身と、ゆっくり向き合ったり。普段は煩わしく感じる待ち時間だけれど、私の心を豊かにしてくれる瞬間も確かにある。

 そんな待ち時間を求めて、私はときどき旅に出る。タイパ重視の日常とは矛盾するけれど、待ち時間は、旅の楽しみでもある。
 慣れた場所では混雑を避けるために行動を調整してしまう。だけど、旅先ではそうはいかない。移動の電車、混み合う観光地、飲食店。避けようのない待ち時間が、旅にはたくさんある。
 イタリアに行った時、クラシックコンサートを聴くために、開場1時間前から行列に並んだ。音楽の本場といえばヨーロッパ。そこで音楽を聴くことは、高校までピアノを習い、大学では吹奏楽部に入っていた私にとって、とても楽しみなことだった。
 質の高い演奏への期待に胸が高鳴る。同時に、異国の地で、しかも1人で待ち時間を過ごすことには不安もあった。そんな感情が見て取れたのか、前に並んでいた30代くらいのイタリア人の男女が声をかけてくれ、海外の演奏会という不慣れな場で戸惑う私の分まで、席の確保を手伝ってくれた。

 そのあと初めて聞いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、格別だった。開場前の高揚感、横で聞いている二人のあたたかさ、演奏中の会場一体に溢れる緊張感、鳴りやまない拍手。すべてが身体に刻み込まれている。演奏技術も音もさすが本場の一言だったが、もし待ち時間無しで聴いていたら、印象は少し違ったかもしれない。

 行列に並んだことで、胸の中で膨らんでいく期待や、その間に出会えた人の優しさを感じ、旅先の風景に心が馴染んでいく実感があった。だからこそ、演奏後の空気を「自分事」として、一体感を覚えることができたのだと思う。

 忙しい毎日の中で、待ち時間は億劫に思われることが多いだろう。旅の「嫌なところ」として待ち時間を思い浮かべる人もいるかもしれない。だけど、ときに、待ち時間は私たちの心を豊かにしてくれる。あなたの心も、きっとその時間を待っている。ときには、抗わず、焦らず、流れに身を任せて、そのひとときを噛みしめてみてはどうだろうか。

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