京都府立鴨沂高等学校は、京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町に所在する京都府立の高等学校です。世界の知識を伝える欧学舎のうちの新英学校と女子が手仕事の技術を習得する女紅場が併存する「新英学校及び女紅場」として1872(明治5)年に開校し、その後、単独の京都府女学校、京都府高等女学校と改められました。1904(明治37)年の第二高等女学校設置により「府一」(第一高等女学校)と呼称されるようになり、1948(昭和23)年に学制改革により京都府立鴨沂高等学校となって今日に至っています。また、鴨沂とは、鴨川のほとりという意味です。

 現在、本校は全日制普通科であり、人文探究コース・理数探究コース・京都文化コース・教養科学コースを設置しています。伝統に根ざした、不易なる鴨沂の精神を大切にしながら、個性や能力を最大限に伸ばし、京都から世界に向けて発信できる人材を育成します。


恵まれた環境の中で...

 東に鴨川をのぞみ、西は御所に接しています。

 近辺には史跡や文化学術施設が多く、校内には優れた美術品や歴史的建造物があります。

 中でも図書館は6万冊もの蔵書を有するなど、文化的な環境に恵まれています。

 多くの先輩方により培われた良き伝統と、その継承・発展を目指す教職員のたゆみない教育実践が、豊かな情操をはぐくみます。

「女紅場之創始」

 この書は、明治初期東京遷都により疲弊しかけた京都を殖産事業等で活力を与え、諸改革を断行し、文明開化の知事として知られる槇村正直の筆です。

 明るく、希望に満ちた未来を暗示するような力強い筆勢です。

 同知事は教育熱心でもあり、一般に女子教育が重んじられていなかったこの時代に、女子教育の必要性を説き、女紅場を開校しました。

 女紅とは「女工=女巧」と同義で、女子の手仕事を習得させることを意味します。