2014/03/03
 
 

第1回ボウリング大会 

平成26年2月15日(土)

於:キョーイチボウル宇治

 

*参加者32名

 

前日の大雪の心配もありましたが幸いにも影響はなく無事終了しました。

同窓会企画として初めてのことで不安もありましたが、皆様のご協力により開催できました。

招待者として在学中に国体3位の成績を残された永井様をお迎えし始球式をしていただき競技を開始しました。

学年の枠を超え和気あいあいの雰囲気でゲームを終えました。

終了後、ささやかですが懇親会をもち、表彰式をしました。

招待者の永井様を抑え76歳の大川様が優勝されました。

3位以内に70歳以上が2人と70歳パワー爆発でした。

 

次回も日程は未定ですが開催の予定をしています。皆様ぜひご参加下さい

 

担当 塩野

 
 
2014/01/09

桃山高校卒業生の大谷 直輝さんが平成26年度関西総本部棋士採用試験本戦で1位となり、プロ棋士になることが内定しました。

大谷さんは本校在学中に全国高校囲碁選手権を2連覇しています。

今後のプロとしての活躍が期待されます。応援よろしくお願いします。

 
 
2014/01/08
 
 

講師 山本眞嗣 先生(元)桃山高校教員

演題 「伏見城今昔物語」~伏見城址に偲ぶ 人と花~

日時 平成25年11月16日(土) 午後2時~4時

場所 伏見総合庁舎 4階 大会議室

参加者数 275名

 

 お話しの概要は序章を含めて5章に分けて構成されています。

 

 序章は伏見城址とその現況について、「豊公伏見城の図」及び「伏見城関係年表」を中心に説明されました。

 1)北堀、銀名水、金瓦と毛利・前田などの大名屋敷の話をされました。

 2)城郭の内外の名護屋丸、治部池、月光(がっこう)<円光寺足利学校>、お舟入址などの説明をされました。

 

1章は太閤の伏見城です。

 1)朝鮮出兵の動機について、緒戦の楽勝から和議交渉に至る話です。

 2)伏見城は本城を大阪に、別館を伏見に置く<隠居屋敷城>であった。

 3)慶長元年の大地震とその後の豊臣政権の凋落に至る話をされました。

 

今回は先生の熱弁でここで時間切れになってしまいました。

予定であった続きを記載しておきます。

 

2章は関ヶ原の戦いと伏見城です。

 1)慶長5年7月19日から8月1目までの伏見城攻防戦

 2)初代伏見町奉行に松平下野守(しもつけのかみ)忠吉と町惣代(まちそうだい)三雲久左衛門等が就くことになる。

 3)元和5年の廃城決定とキリスト教徒の大殉教です。事は場内にあった家康公愛用の南蛮時計の修理から起こった。

 

3章は桃山の花です。

 

4章は伏見奉行所と戊辰戦争です。

 1)公事作事奉行小堀遠州が伏見城解体と併行して新奉行所を設営する。

 2)慶応4年正月3日から5日の伏見の役

 3)奉行所跡地にフランス式陸車練兵所創立 

   結びは鳥羽伏見の戦跡です。

 
 
2013/11/28

平成25年11月27日(水)18:45~20:40 京都市呉竹文化センターで開催されました。

今年度はイーゼル芸術工房(EASEL ART STUDIO)のライブ演奏がありました。

14曲の演奏の間にバンド結成にまつわる話やデビュー後の苦労話し、生徒達への激励の言葉をいただきました。

「ひらり」という曲ではさびの部分を皆で歌いながら、手を振るなど演奏者と会場との一体感を感じました。

すてきな夜のひとときを過ごさせていただきました。

 
 
2013/11/16
 
 

講師 山本眞嗣 先生 (元)桃山高校教員

演題 「伏見城今昔物語」 ~伏見城址に偲ぶ 人と花~

日時 平成25年11月16日(土)午後2時~4時

場所 伏見総合庁舎 4階 大会議室

参加者数 275名

 

お話しの概要は序章を含めて5章に分けて構成されています。

 

序章は伏見城址とその現況について、「豊公伏見城の図」及び「伏見城関係年表」を中心に説明されました。

1)北堀、銀名水、金瓦と毛利・前田などの大名屋敷の話をされました。

2)城郭の内外の名護屋丸、治部池、月光(がっこう)<円光寺足利学校>、お舟入址などの説明をされました。

 

1章は太閤の伏見城です。

1)朝鮮出兵の動機について、緒戦の楽勝から和議交渉に至る話です。

2)伏見城は本城を大阪に、別館を伏見に置く<隠居屋敷城>であった。

3)慶長元年の大地震とその後の豊臣政権の凋落に至る話をされました。

 

今回は先生の熱弁でこでで時間切れになってしまいました。

 

 

予定であった続きを記載しておきます。

 

2章は関ヶ原の戦いと伏見城です。

1)慶長5年7月19日から8月1目までの伏見城攻防戦

2)初代伏見町奉行に松平下野守(しもつけのかみ)忠吉と町惣代(まちそうだい)三雲久左衛門等が就くことになる。

3)元和5年の廃城決定とキリスト教徒の大殉教です。事は場内にあった家康公愛用の南蛮時計の修理から起こった。

 

3章は桃山の花です。

 

4章は伏見奉行所と戊辰戦争です。

1)公事作事奉行小堀遠州が伏見城解体と併行して新奉行所を設営する。

2)慶応4年正月3日から5日の伏見の役

3)奉行所跡地にフランス式陸車練兵所創立 

結びは鳥羽伏見の戦跡です。

 
 
2013/11/01

10月24日、第6回桃山同窓会懇親ゴルフが、宇治CCで開催されました。

台風の予想に影響され、欠席者が出ましたが58名の参加で、予報に反し1滴の雨にも会わず、無事終了しました。

年長者は第1回卒の服部さん、遠来者は東京から5回卒の安村さん、最年少は26回卒の杉本さん、女性は6回卒の稲尾さんと6年連続の20回卒酒井さんのお二人が参加された他、塩野、立石副会長がボーリングのPRを兼てお手伝いに来て下さいました。

以上ご報告致します。事務局・中村

 
 
2013/10/21
 
 

 第35回東京桃山同窓会が10月12日(土)17時から信濃町・明治記念館で230名の卒業生が参加して盛大に開催されました。本同窓会は毎年10月に明治記念館で開かれており、今年は滋野校長が京都から出席され、「桃山高校の今」というテーマで文武両道で躍進中の桃高の近況や桃山四郎雲について講演して頂きました。

講演に先立つイベントとして、伏見最古の蔵元で創業338年の月の桂第14代社長の増田徳兵衛氏(26期)の協力により、鏡開きを来賓の方々で威勢良く行ないました。増田氏は今年1月に京都市で施行された日本酒乾杯条例の実現、ミス日本酒コンテストの実施、日本酒の海外への普及等にも尽力し、伏見の伝統産業でもある日本酒業界の盛り上げに伏見酒造組合理事長として活躍中のOBです。

また滋野校長と同じ来賓席には、横浜国大工学研究院 未来情報通信医療社会基盤センター長 工学部電子情報工学科教授の河野隆二氏(26期)も同席しており、滋野校長と親交を深め、高大交流についても活発な意見交換をされていました(近い将来、河野教授来校による特別授業があるかも)。

更に今年の企画として、同窓会館に保管されていない古い期の卒業アルバムを含み、4~31期分が各期毎にスクリーンに上映されましたが、その画像データを全て揃えて電子化しDVDに収めたものが本年幹事より滋野校長に寄贈されました。このアーカイブが桃高にて保管され、将来有効活用される事が期待されます。

式次第としては、校歌斉唱、新会員31期紹介、祝傘寿(4期)花束贈呈、次回幹事27期引継挨拶、

4期前田耿史氏による「タイの山を愛した奇想天外な人~カノミタカコ(4期)評伝」(大幡季生著)の紹介、ふるさと合唱等があり、賑やかに進んだ同窓会は、最後に26期幹事・神宮政男氏リードにより参加者全員での景気良い三本締めでお開きとなりました。

 

文責:昭和49年3月卒26期代表幹事・谷村晶夫

 
 
2013/09/17

学校行事

文化祭 平成25年9月4日(水)~6日(金)

体育祭 9月25日(水) 予備日 9月27日(金)

海外研修(オーストラリア 4泊6日)自然科学科2年 10月20日(日)~25日(金)

卒業式 平成26年2月28日(金)

 

平成25年度全国大会出場クラブ

 将棋部  全国ベスト8

  近畿大会出場クラブ

  男子ソフトテニス部 団体、個人1ペア

  卓球部 女子団体 、軟式野球部、弓道部 女子団体

  陸上競技部 男子800m   1名、男子5000mw  1名

山岳部、吹奏楽部(関西マーチングコンテスト)

近畿公立大会出場 ラグビー部

 
 
2013/09/17

学校行事

  新入生歓迎会(4月)

  映画団体鑑賞(5月)

  球技大会(7月)

  体育祭(9月)、

  文化祭(10月)

  修学旅行・遠足(11月)

  文化の夕べ(11月)

修学旅行  3年生 東京方面(3泊4日) (11月)

  卒業生を送る夕べ(2月) 

卒業式 平成26年2月28日(金)

 

 全国大会出場クラブ

柔道部、陸上競技部、バレーボール部、バドミントン部、ソフトテニス部

 
 
2013/09/09
 
 

(銘板の文章)

 江戸時代、伏見京橋から京都七条東洞院までの竹田街道(車道)は、伏見港に荷揚 げされた米などを京都へ運ぶ牛車の専用道路であった。車道は、人や馬の通る往還の 保全や通行人の安全確保から、人や馬の通る道より一段低いところに設けられていた。

 この区間は、京都市中の小河川が集まる低湿地帯で、雨でも降れば土道である街道 はぬかるみ、牛車の車輪がぬかるみにとられてスムーズに通ることができなかった。

 そこで江戸時代の後期に、車道の車輪の通るところを、規格化された厚板石を二列 に敷き並べ、牛車を通りやすくした。この敷石が車石(輪形石)である。

 梅雨や台風の時期になると、川の水があふれ、車道に水が流れ込み小川のようになる ことが多く、竹田街道の風物詩となった。

 車石に残る深い轍の跡は、重量物を運ぶ牛車の頻繁な往来によりできたものである。

 これらの車石は、松井博史氏(伏見区)から寄贈されたもので、上は竹田街道に敷 かれていた石(六甲花尚岩)で、下は京津街道に敷かれていた石(藤尾石)である。左 は溝部分で割れた竹田街道の車石で、この築山の中に全部で6個が確認されている。

平成25年6月吉日桃山同窓会

 
 

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