先生方による不定期のエッセイコーナー。今月は、穂波慶一先生が書いてくれました。
『理解できない・・・だからこそ。』
新学期も2か月以上が経ち、新しいクラスや授業に慣れ始めた頃でしょうか。その一方で、人間関係で悩む人も出てきたのではないでしょうか。今回は、私自身が体験した、ある友人との話をしようと思います。
私は1歳半から15歳まで地元のクラブで水泳をやっていました。そこで最初からほぼ最後まで一緒に水泳をしていた友人がいます。彼とは「親友」と呼べる関係で、大学に入ってからも、今はなき「Skype」(オンラインコミュニケーションツール)でほぼ毎日連絡を取り合っていました。また、春休みや夏休みになると、お互いの実家に交互に宿泊したり遊んだりしていたので、私の両親から「熟年夫婦」と言われる程でした。
ある日のこと。いつもと同じように、彼に「今日も一緒にゲームできる?」とSkypeでメッセージを送りました。けれど、待てど暮らせど彼からの返信は来なかったのです。その時は、「調子が悪かったのかな」と思ったのですが、それ以降、彼とは音信不通になってしまいました。「1歳半から苦楽をともにした親友に対してなんなん?」「自分が何か悪いことをしたか?」と、その友人に対して怒りや悲しみといった複雑な感情を抱き、悶々とした日々を過ごしました。
それから、大学院の研究会でエマニュエル・レヴィナスの『全体性と無限』を読む機会がありました。倫理の教科書にも出てくるくらい有名なフランスの哲学者です。彼はこの本で、「自己は他者を理解することができない」と、他者を常に自分の理解を越える「無限な存在」として位置づけていました。その文章に触れた私は、すぐに連絡が取れない友人のことを思い浮かべました。つまり、「あいつにも色々あるし、しょうがないかな」と次の一歩を踏み出すことができたのです。理解できない・・・だからこそ、予想外のことが起こりうる。連絡が急に途絶えることもあれば、ケンカもする。それをレヴィナスを通じて学びました。
皆さんにも友人や家族といった親しい関係の人達とすれ違った経験はあるでしょうか?もし過去に、そして現在進行中で経験している人がいるなら、一旦しょうがないかなと思って、切り替えることをオススメします。なぜなら、他者は理解できない存在なのだから。そしていつになるか分からないけれども、すれ違った人と再び向き合える日を気長に待ってみてもいいのではないでしょうか。
ちなみに、私は今でもその友人と連絡が取れていません。それでもいつかあの時のように「今日も一緒にゲームできる?」と言える日を待ち続けたいと思います。