2月の久美浜高校・丹後緑風高校久美浜学舎は「文化に親しむ月間」となっています。学校図書館では、「節分」「立春」など日本古来の季節の区分けである二十四節気から和文化に想い馳せる本を紹介しています。今年も横嶋校長先生から、節分の展示にあわせて鬼とお多福のお面と豆を提供いただきました。図書館内での豆まきは、衛生上の課題があるので行いませんが、節分にまつわる数々の本を読みながら想像でお楽しみください。
ところで、みなさん、節分というと「鬼は外、福は内」と豆を播いて邪鬼を祓う風習、というのが定番ですが、この京丹後市には節分に豆まきをしないことが風習となっている地域がいくつかあるのを知っていますか? そのうちのひとつ、網野町三津には、次のような伝承が伝えられています。
「 江戸時代のある節分の日、宮津藩の藩主の用で京都へ出向いた三津の末次氏は、日没後の帰路で道に迷っていたところ、どこからともなく現れた "ひゃっかけ"に節分の日に豆まきをしないなら家まで送ってやると声をかけられる。"ひゃっかけ"の助けで無事に自宅に帰りつくことができた末次氏は、約束を守り節分の夜に豆まきをしないことを子孫にも言い伝えた。」
この伝承における「ひゃっかけ」は、鬼の別名であるといわれています。網野町三津に末次さんという名字の家は複数ありますが、現代でも豆まきをする家としない家ははっきり分かれているそうです。同様の伝承は各地にぽつぽつとあり、久美浜町女布では一般に節分に豆まきをする習慣がありますが、女布のなかでも「鬼の宿」とよばれる家では豆まきをしません。
あなたの家には、どんな伝承があるでしょう? ふだん話題にすることもあまりない地元の話題、お友達と話し合ってみたら、意外と知らなかった違いもあるかもしれませんね。この機会に、話題にしてみてください。
学校図書館で、毎年もっとも調べ学習の授業利用が多くなる1月の授業利用にあわせ、雑誌の専門図書館「大宅壮一文庫」のWeb検索を1ヶ月間無料でお試しできるトライアルを導入しました。大宅壮一文庫は、週刊誌など市町村の図書館がほとんど収集してこなかった逐次刊行物について、作家の大宅壮一氏が「情報に貴賤はない」と考え私財を投じて網羅的に収集し、開設した私設図書館です。娯楽雑誌、とくに週刊誌は書籍に比べて低俗なものと思われがちですが、視点をすこし変えてみると、その時々の世相を敏感に反映した貴重な情報体といえます。2022年1月11日から2月10日までの期間限定ですが、ぜひ様々な物事を検索してみてください。アクセスには専用IDとパスワードが必要ですので、学校図書館のパソコンを活用してください。
Web OYA-bunkoで検索できる情報は、大宅壮一文庫の所蔵する雑誌のうちの一部の書誌情報だけですが、書籍ではあまり文献が探せない・Google検索等の一般のインターネットで読める記事だけで調べ学習を進めるのはちょっと・・・・・・という時に、オススメです。読みたい雑誌が見つかったら、有料にはなりますが、郵送複写を依頼することで読むことができます。
また、検索結果を分析することでできる探究学習もあります。例えば「AIと人類の共存」というテーマで探究学習を行っている場合、「AI」だけでWeb OYA-bunkoで検索すると30,719件ヒットしますが(この検索結果には例えば著者名が「DAISUKE」というような場合もヒットしてしまうので、正確ではありません。)、「and検索」で「AI」と「福祉」をあわせて検索すると10件に絞られます。この10件を発行年で並べ替えてみると、2017年に4件、2018年に6件あり、2016年以前と2019年以降は0件でした。この結果から、AIが福祉の分野で特に注目されたのは2017~2018年頃だったということが推測できます。同様に「AI」と「教育」は、あるいは「交通」や「製造業」でand検索してみると、どうなるでしょう。また、それぞれの年にどんな出来事があったのか学校図書館にある『年鑑』等で調べてみましょう。どんな時代にどんな分野でAIが注目されてきたのか関連性を分析すると、これからの人類に求められるAIの姿も見えてくるかもしれません。
まずは、どんな話題がどんな雑誌でいつ頃に紹介されていたのか、それを知るだけでも意外とおもしろいものです。ぜひ、このトライアル機会に、いろいろ試してみてください。
人生を健やかに過ごすための基礎を学ぶ必修課目「保健」は、高校では2年次生で終了となります。本校の保健体育科では、その集大成として、毎年2年次の3学期には生徒ひとりひとりがテーマを決めて調べ、レポートにまとめて発表する調べ学習を行ってきました。今年度も、すべての生徒が2学期の内にテーマを提出、学校図書館では冬休みの間にひとりひとりのテーマに応じた図書資料を集め、3学期の最初の授業で文献調査のノウハウを紹介しています。生徒は、限られた授業時間で譲り合いながら多数の文献を活用するため、著作権法において私的複写が認められる範囲で必要な資料を携帯端末に保存し、自宅でも学習を進める準備を行っていました。
・配布資料 R3年度版「保健」調べ学習・探究学習調査ガイド.pdf
今年度の資料集めでは、京都府立図書館及び京丹後市立図書館大宮図書室・あみの図書館にお世話になりました。京丹後市立大宮図書室は、京丹後市立図書館の中では小さな館ですが、保健体育分野の学習資料が充実している図書館です。大宮町出身の実業家でニチコン創業者・平井嘉一郎氏の財団による寄付の図書も多数あり、みなさんが卒業した後も利用できる良い公共図書館として注目してほしいと思います。場所も、アグリセンター大宮に隣接とわかりやすいところにあるので、ぜひ足を運んでみてほしいと思います。
学校図書館では、紙の文献のほか、電子書籍や有用なWebサイトの活用も推奨しています。この「久美高(くみこう)図書館blog」の「調べる」ページに学習に役立つWebサイト情報を集めているので、こちらも参照してみましょう。
他校普通科とくらべて「総合的な探究の時間」を2倍設定している久美浜学舎みらいクリエイト科の「みらい探究」。1学期から段階をふんで探究学習の手法を学んできましたが、いよいよ各自がテーマを決めて本格的な文献調査がスタートしました。1月の学習成果発表会「寄せN.A.B.E.」に向けて、学校図書館は生徒一人一人のテーマと学習の進行状況にあわせて、公共図書館とも協力しながら授業支援にあたっていきます。
11月16日には、学校図書館の資料やCiNii論文検索などによる1回目の資料探しで各自が決めた暫定的なテーマに基づき、京都府立図書館から80冊余の文献を取り寄せました。傍らに本や資料を積み上げて調べる生徒の様子は真剣そのもの。いまはざっくりと調べている生徒たちも、学習を進めていけばおのずと「自分が探究したいこと」の方向性がみえ、必要な資料も変わってきます。方向性が見えるタイミングも、一人一人ちがうのが探究学習。どんなペースで学んでいる人にも学校図書館は最後まで伴走していくので、遠慮なく相談してくださいね!
今年度2年次生が12月に出かける修学旅行先は、長崎県になりました。各クラスでの旅行の役割分担や事前学習に備え、学校図書館では長崎に関するありとあらゆる本を新たに購入し、2類歴史書架の中盤に設けた特集コーナーで紹介しています。定番の旅行ガイドはもちろん、古今の写真集や、原爆やキリシタンの足跡や近代化遺産などの歴史的な資料のほか、長崎の方言や郷土料理などの文化面の資料、ハウステンボスの経営再生に関わる社会科学の本も集めています。
このコーナーでは、修学旅行調査や資料づくりに役立つWebサイトもあわせて紹介。ぜひ活用してしっかり情報を収集して計画を立て、短い旅行を最大限に実り多いものとしていきましょう。
今回の「くみはま探検」では、久美浜町からちょっとはなれて、お隣の峰山町に目を向けてみました。みなさんは、峰山町二箇にある「月の輪田」を知っていますか? 稲作発祥の地という伝承が残り、伊勢神宮に奉納される古代米を育てている三日月型の田んぼです。
昨年度の久美浜高校2年生の探究活動では、この二箇地区から通っている生徒を中心に、「丹後の米」をテーマにした調べ学習が行われていました。そこで、久美高図書館でも「月の輪田」や丹後のお米のルーツを探り、たくさんの文献資料を調査し、「月の輪田」で育てられた3種類の古代米も入手しました。現在それらは学校図書館の「本+物」コーナーで展示しています。
探究には、文献資料を読む以外にも、いろいろな人への聞き込みやアンケートによる実態調査、観察したり、実験したり、実測したり、計算したりと、様々な手法があります。「古代米」をテーマに、様々な探究の手法を試してみましょう!
「月の輪田」について知らない!という人はこちらのWikipedia「月の輪田」を、聞いたことあるけど詳しく知りたい!という人はWikipediaに記載してある参考文献と外部リンク先を参照しましょう。
現在、「月の輪田」で育てられている古代米は、京丹後市弥栄町で20世紀末に復活した古代米の子孫だそうです。弥栄町の古代米は、「月の輪田」だけでなく、全国各地でブームとなっている古代米の先祖でもあります。この古代米復活の経緯は、インターネットで検索しても、まとまって書かれている情報源は2020年10月現在、存在していません。しかし、久美高図書館には、新聞記事や論文などの形でたくさんの関連資料があります。ぜひ、これらの資料を分析し、まとめ、どこかで発表してみませんか?
授業での探究学習はもちろん、調べる学習コンクールや、オンライン百科事典Wikipediaなど、みなさんの活動の場はたくさんあります。やってみたいけれど、よくわからないことや心配なことがある人は、気軽に図書館や先生に相談してみましょう。
(追記) この記事を投稿後、弥栄町で古代米復活に取り組まれた研究者・芦田行雄氏のWikipedia記事が作成されました。古代米を探究する人は、こちらもあわせて参考にしましょう。
身の回りの探究学習の種を紹介する「くみはま探検」、第2回目は歴代の久美浜高校生も植林ボランティアに参加している「箱石浜」について調べてみました。
7月、地域の魅力を発見しオンライン百科事典に紹介しよう!という企画で、網野町浜詰地区を歩きました。前回のくみはま探検では、「久美浜」という地名の由来は"久美の郷の浜"であるという説を紹介しましたが、「浜詰」という地名の由来は、久美浜の湊宮から小天橋・葛野浜・箱石浜・浜詰にいたるまでおよそ7㎞続く長い丹後砂丘の東の端、"浜の詰まったところ"であるそうです。「名は体を表す」ということわざの通りですね。
この約7㎞のロングビーチは、松並木が白砂に映える美しい景観から、1987年に「日本の白砂青松100選」に選出された人気の海水浴場となっています。夏休みには、泳ぎにでかけた人もいるかもしれません。美しい自然を満喫されたでしょうか。
この久美浜地域の海岸の美しい景観をなす松並木を維持するためのクロマツの植林は、江戸時代に始まりました。戦時中には松ヤニを大量採集したことで、また近年では異常気象により、松の樹勢が弱って松食い虫が大量発生するなど、松並木は幾度も消滅の危機にさらされましたが、多くの地域の人々の尽力で守られ、現在に到ります。
久美浜高校でも、この自然環境を守る「松林再生プロジェクト」のボランティアに8年前から毎年参加しており、今年も6月18日に、湊宮で松の樹高調査や手入れに生産科学系列の生徒が参加しました。この伝統は、アグリサイエンス科にも引き継がれていくことでしょう。
「松林再生プロジェクト」は、例年秋には、箱石浜で行われます。
さて、美しいクロマツの林という自然の宝が広がる箱石浜ですが、じつは地面の下にも素晴らしい宝が眠っていることを、ご存じでしょうか? 海岸クロマツ林の復元研究事業が行われている箱石浜の砂丘は、久美浜町が日本に誇れる歴史的遺産「函石浜遺物包含地」(函石浜遺跡)と呼ばれています。
「函石浜遺物包含地」は、縄文時代から室町時代にかけての各時代の遺物が次々に発見された珍しい史跡です。発見者は、豪商・稲葉本家の12代目当主の兄弟でした。多くの遺物が見つかりましたが、なかでも、古代中国の新王朝(西暦8-23年)の通貨「貨泉」が出土したことから、中国文化の日本への影響を知る手がかりとして大変貴重な場所であるとして、1921年(大正10年)という非常に早い段階で国の史跡に指定されました。
この古銭は、現在の研究では中世頃まで使用されていて、日本各地で見つかっているのですが、当時は珍しく、国や研究者達の注目が、この箱石浜に集まったことが想像されます。
松林の手入れ、あるいは海水浴やピクニックに、箱石浜に出かけた時は、青い空と海、緑の松並木だけでなく、足元の地面にもちょっと注目してみましょう。もし、変わった形や模様のある石や鉄片を見つけたら、それは数百年、数千年の時を超えた遺物かも!? あれ?と思うような物を見つけた人は、図書館にある本や顕微鏡で調べてみてくださいね。
【参考文献】
・岩田貢、山脇正資『地図でみる京都ー知られざる町の姿ー』海青社、2019年
・『函石浜遺跡とその発見者たち』京丹後市丹後古代の郷資料館、2006年
・寺報第161号『浜詰村・今昔物語第98話「函石浜遺跡案内」』萬久山福寿院、2009年6月2日発行
・北京都丹後ふるさと検定テキストブック『丹後新風土記』丹後広域観光キャンペーン協議会、2008年
などです。参考文献はすべて学校図書館にありますので、読んでみましょう。
今回の調査結果の詳細は、こちらに掲載しています⇒ オンライン百科事典Wikipedia日本語版「函石浜遺物包含地(函石浜遺跡)」(初版)
身の回りの探究学習の種を紹介する「くみはま探検」、第1回目は京都府立久美浜高等学校から、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎へと、学舎に受け継がれた「久美浜」という名前について調べてみました。
地名としての「久美浜」は、丹後一宮としてしられる元伊勢籠神社に保管されている古文書『丹州熊野郡久美浜村御検地帳』(1602年/慶長7年)に歴史上はじめて登場します。以来、(明治27年)の町制施行まで「久美浜」は村の名前として受け継がれ、その範囲はおおむね現在の久美浜一区にあたります。
「久美浜」は1955年(昭和30年)に熊野郡内6町村が合併した際に、全体の町名に採用され、ここに一郡一町の熊野郡久美浜町が誕生しました。本校は明治35年に熊野郡立農林学校として開校し、大正12年には京都府立久美浜農学校として「久美浜」の名を冠していますが、その当時はこの学舎の場所は熊野郡海部村字橋爪65番地......まだ久美浜ではなかったわけです。びっくりです。しかし、さらに歴史を遡ると、いや、久美浜学舎の場所はやはり「久美浜」であった!と思われる見解も発見。長い歴史のなかで揺れ動く「久美浜」の名の由来を、順番に紐解いてみましょう。
「久美浜」のもともとの意味は、「久美」の「浜」。「久美」は、日本最古の事典『倭名類聚抄』にも記載される「久美郷」であり、その一地域である「浜」が、もともとの久美浜の範囲であったとみられます。
「久美の浜」という表記は、中世以前の資料で2例確認できます。ひとつは1285年(弘安8年)に時宗の開祖である一遍上人が丹後の久美の浜で踊念仏を行ったところ、海中より龍の出現を見たという『一遍聖絵』巻第八の記事。もうひとつは1538年(天文7年)の『丹後国御檀家帳』で、久美の浜に500軒の家があったという記述です。
下の地図を見てみましょう。この地図にある赤い丸の範囲がおおむね『丹後国御檀家帳』に記された16世紀の「久美の浜」です。この範囲に500軒の家があったと想像すると、まるで大都市のようです。
久美の浜のやや東には「十楽」という恵心僧都源信の『往生要集』に由来する地名が残りますが、歴史学者の網野善彦氏は、十楽は楽市楽座につながる自由な商取引がおこなわれた市場を示すと指摘します。市場が立つ、というのは、それだけたくさんの人が集まった都会の証であり、源信が仏を残した伝承をもつ本願寺の境内に立った市場が発展したものと推定されています。
では、「久美」という地名は? というと、これは古代に遡ります。
初出は1987年に奈良国立文化財研究所の調査によって平城宮跡から出土した木簡に「丹後国熊野郡久美里」の記載があり、少なくとも8世紀代の資料で存在を確認できる古い郷名でした。
『熊野郡誌』では、四道将軍の丹波道主命の刀剣「国見剣」に由来し、「国見(クニミ)」が「久美(クミ)」に変化したと記しています。一方、国語の意味から分析すると、「クミ」には「入り組んだ土地」という意味があり、同じ意味をもつ類音に熊野郡の「クマ」があります。久美浜町は、2004年の合併で京丹後市になる前まで、熊野郡に属しました。
また、古代、丹後半島で一大勢力をもったとみられる南方系海人族の言葉では、クミの「ク」は接頭語、語根は「ミ」にあり、これは「ミミ」の略語であるため、久美浜は正確には「クミミハマ」ではないかと指摘する研究者もいます。彼らが刳り船を操って山陰海岸を東に勢力を広げ、久美浜湾に到達したのは弥生時代後期から古墳時代前期以前ではないかといわれ、丹後半島においては久美浜湾を一大拠点として丹後海人の中核にいたと考えられています。
その当時の久美浜湾は、現在、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎の建つ海士・橋爪集落のあたりまで、海水が入り込み、湾を形成していました。私たちの学舎から見渡せる広々とした田園風景が、かつては久美浜湾の一部であり、「久美の浜」だったのかもしれません。大陸や南の島から海を越えてきた人々がこの場所から上陸したかもしれないと想像すると、なんだかワクワクしてきますね。
地名「久美浜」について調べた詳細は、オンライン百科事典Wikipediaの「久美浜」に、各記述の典拠を記してまとめました。典拠の資料は、すべて久美浜学舎の学校図書館にあります。みなさんは古今東西の「久美浜」から何を感じとるでしょうか。ぜひいろいろ読んだり、調べたりしてみてください。みなさんの気づきを楽しみにしています。
【参考文献】
- 『星霜 創立百周年記念誌』京都府立久美浜高等学校創立百周年記念事業推進委員会 2003年
- 『「久美庄から久美浜へ」~中世の久美浜~』平成18年度丹後古代の里資料館秋期特別展示図録、2006年
- 京都地名研究会『京都の地名検証3 風土・歴史・文化をよむ』勉誠出版、2010年
- 澤潔『探訪丹後半島の旅(上)』文理閣1982年
- 吉田金彦、糸井通浩、綱本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年
- 上田正昭、吉田光邦『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
今回の調査結果はこちらに掲載しています⇒ オンライン百科事典Wikipedia日本語版「久美浜」(初版)
(かぶと山展望台からみた、久美浜湾の東部 / 2019年8月)
5月26日(火)、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎「みらいクリエイト科」1年生の「みらい探究Ⅰ」の授業で、学校図書館の図書資料や様々なサービスがどのように活用可能であるか、実際の調べ学習の事例(京丹後市網野町「磯」について調査)をもとに紹介しました。
ほかの生徒のみなさんにも、様々な調べるシーンで役立ててもらえるよう、テキストと調査成果を掲載します。読み比べて、図書館活用の参考にしてください。
授業テキスト ⇒
1 学習情報センターとしての図書館利用 調べ学習ステップ解説ー磯よりー 探究学習はじまり編.pdf
2 学習情報センターとしての図書館利用 調べ学習ステップ解説ー磯よりー 文献調査(下調べ編).pdf
3 学習情報センターとしての図書館利用 調べ学習ステップ解説ー磯よりー 文献調査(書籍・論文・雑誌記事編).pdf
4 学習情報センターとしての図書館利用 調べ学習ステップ解説ー磯よりー レポート作成編.pdf
テキスト題材の成果レポート ⇒ 「磯地区(Wikipedia日本語版記事過去版)」
なお、このテキストの作成にあたっては、以下の先行研究を参考または一部引用しましたので、あわせて紹介します。
参考文献1 ⇒「在宅で学ぶ大学生と教職員のための、情報収集法&大学図書館リモート活用法」梅澤貴典 氏(中央大学) 2020年4月公開資料
参考文献2 ⇒ 「短時間でもできる! 読みやすく見栄えよくするWikipedia新規作成記事のコツ 」Asturio Cantabrio氏(東京ウィキメディアン会) 2020年3月公開資料