学校概要
大山崎町は、京都盆地の南西部にあり、大阪府と隣接する乙訓地域の南端にあります。 本町の南で桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川となる地理的要所にあり、淀川の水運や京都と大阪を結ぶ西国街道が南北に通っていて 陸上交通も歴史的に古くから開けていました。 「天下分け目の戦い」の舞台となった天王山が本町の西に位置しています。
昭和40年以降、京都、大阪のベッドタウンとして住宅開発が急速に進み、人口が急増するとともに、名神高速道路や国道171号線沿いに工場や企業が立ち並ぶようになりました。この人口の急増に伴い、昭和46年4月に乙訓中学校事務組合立第二乙訓中学校として 新設され、昭和57年の乙訓中学校事務組合の解散によって、町立の中学校として発足しています。
また、平成15年12月には、名神高速道路と京滋バイパスの連結部分に大山崎インターチェンジが整備され、交通アクセスが一層よくなりました。
平成22年1月6日より、新校舎にて教育活動を行っています。令和3年度は、全校生徒数441名(第1学年144名、第2学年137名、第3学年160名)、16学級、教職員31名の学校規模であります。
校歌
杉山 照夫 作詞
矢田部 宏 作曲
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おおらかに 伸びる木立の 梢を越えて 希望あふれる 歌声が 天王山に こだまして 若き命の 燃えるとき 集うわれらの 学び舎は その名もゆかし 大山崎中学校 | 清らかに 流れて睦ぶ 三筋の川面 陽光に踊る 若鮎が 淀の流れを 見守りて 固き友情 交わすとき 集うわれらの 学び舎は その名輝く 大山崎中学校 | たくましく 湧きたつ雲に 理想をこめて 山なみ越える 若人が 歴史の轍 踏みしめて みなぎる力 揮うとき 集うわれらの 学び舎は その名誇らし 大山崎中学校 栄えあれ われらの 大山崎中学校 |