沿革

【沿革】
○ 昭和 33 年 12 月 1日
国家公務員共済連合会が肢体不自由児施設舞鶴共済整肢学園として整形外科病院及び
児童福祉施設設置を京都府から認可され、旧海軍舞鶴鎮守府の要員病院(戦後GHQ命
令により京都府に建物を移譲され、府立康生病院、府立保健所として使用されていた)
を使用し発足。(現在の共済病院の向い側、立体駐車場がある場所)
○ 昭和 34 年 4月 1日
舞鶴市立三笠小学校整肢学園内特殊学級の併設認可。教員を派遣し、訪問教育開始。
○ 昭和 36 年 4月 12 日
舞鶴市立青葉中学校整肢学園内特殊学級の併設認可。教員を派遣し、訪問教育開始。
○ 昭和 45 年 4月 1日
舞鶴市立倉梯小学校の学級として国立舞鶴病院内に病弱学級2学級開設。倉梯小学校
籍児童として、教員を派遣し、授業実施。
○ 昭和 47 年 4月 1日
舞鶴市立青葉中学校の学級として国立舞鶴病院内に病弱学級1学級開設。青葉中学校
籍生徒として、教員を派遣し、授業実施。
○ 昭和 54 年 4月 1日
昭和 54 年3月舞鶴共済整肢学園が廃止され、東舞鶴北吸地区に京都府立舞鶴こども
療育センター(以下「療育センター」と表記する)と名称を改め開所、再スタート。(京
都府が管理運営を国家公務員共済組合連合会に委託)
○ 〃
国立舞鶴病院旧病棟を仮校舎とし、京都府立舞鶴養護学校が設置される。(小学部・中
学部設置

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