須高Gallery

農牧学校資料館

須知高校は昭和23年(1948)創立ですが、その前年、日本がまだGHQの占領統治下にあった時代、京都軍政部のアメリカ人イッシュ大尉が須知農林学校まで視察にやって来たときのこと。当時の石崎増雄先生(※)が、イッシュ大尉を前に明治初期の農牧学校について説明をされました。イッシュは深く感銘して、「農牧学校の跡地を是非公園化してほしい、当時使われていたウィードの教科書を保管する記念図書室を作ってほしい」とのべられたそうです(『日本海公論』昭和22年)。翌年、須知高校、と校名を変えてから二つの記念事業を進めようとされましたが、戦後の大変な時期とあって準備が困難だったようです。その後、須知高校30年目にあたる昭和56年(1976)の農牧学校100年記念以降、約10年間隔で顕彰活動が続き、学校跡地に碑文を建てるなど取り組まれてきましたが、本格的な公園化と記念図書室の実現はかないませんでした。ついに、平成29年(2017)の須知高校70年・農牧学校140年記念にあたり、教科書やその他関連資料を展示する農牧学校資料館を同窓会や地域の方々のご助力を得て創設し、開拓地の公園化を食品科学科公園管理コースによって推進、現在、ウィードの森、農牧の森といった形で公園化(史跡化)に向けた取組を継続しています。実は、須知高校発足当時の大きな目標だった開拓地の公園化と教科書の保管場所の設置は、今から三年前の記念式典でようやく実現することができたという新事実が分かりました。また、校歌第一番の「聴け高原に鐘は響く♪」の「高原の鐘」は本当に実在するのかどうか、これまでどこを探してもなかなか見つからなかったのですが、本館東側倉庫からついに発見されました。直径約30cmですが大変重く、どのように設置されていたか分からないです。昭和3年(1928)の銘があり、須知農学校時代のものだとわかりました。この鐘をいつまでどの場所でどのように使用されていたのか、ご存知の方がおられましたら是非とも学校まで連絡をお願いします。※選抜された農林学校生徒たちの滑空訓練を指導されていた先生です。

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