2年三和創造学習 三和の郵便について学びました

 10月9日(金)に、2年生が加用かよう地区のポスト、三和郵便局、菟原郵便局跡を訪ねました。明治4(1871)年に東京・大阪間で官営の郵便事業が開始されてから、およそ150年。郵便網は、日本全国に張り巡らされており、人々をつないでいます。

 スクールバスで加用公民館前にあるポストまで来ました。この日講師をお世話になる加用地区の西山様、三和創造学習地域講師の吉田様にみんなで「よろしくお願いします。」とあいさつをしました。

 西山さんに加用地区についてお話しいただきました。加用地区には、現在4世帯8人の方がおられます。昔は40軒あり、祭りなどの様々な行事が行われていたということでした。

 次に担任から、ポストをよく観察し、触ってみるよう指示がありました。子どもたちは、ポストの上から下まで興味深く観察し、手で触れていました。子どもたちは、鉄製であることに気付きました。そこで、担任が、なぜポストが鉄でできているのかを問いました。子どもたちは、「手紙が飛ばないようにするため。」「手紙を守るため。」と答えていました。大正解です!

 吉田先生に、三和町にある全てのポストの位置が分かる地図を広げていただき、加用のポストを探す活動をしました。三和町には、ポストが39個あること、加用ポストの周囲に余りポストがないことが分かりました。加用は、綾部に至る街道沿いにあり、かつては賑わっていたのだという話も聞くことができました。

 子どもたちが書いたはがきを自身で投函する体験をしました。丁度一日1回の取集時刻近くだったのですが、残念ながら取集場面は見られませんでした。

 公民館には薬師堂が併設されており、加用で大切に保存されている仏像があります。今回は、見ることができませんでしたが、吉田先生の解説を聞きました。本尊は、鎌倉時代中期に造られた薬師如来やくしにょらい像です。薬師如来は、左手に薬壺やっこを乗せていることから、病気からの回復を願う人々がよく来られるとのことです。特に耳の病気を治してくれるので、穴の空いた石に紐を通し供えられていました。この石を「耳石みみいし」と言います。高杉の薬師堂でも同様の供え方をしていて、3年生になったら行くと聞き、期待を大きくした子どもたちでした。

 昨年度に撮影した薬師如来像と脇侍きょうじ像、耳石を掲載します。薬師如来の脇侍は、日光菩薩にっこうぼさつと月光菩薩がっこうぼさつなのですが、明らかに違います。薬師如来を守護する十二神将じゅうにしんしょうのうちの2体かと思うのですが、どうでしょう?

 西山さんに「ありがとうございました。」とお礼を述べ、子どもたちは、加用を後にしました。

 続いて、菟原下一うばらしもいちの三和郵便局を訪ねました。吉田局長が迎えてくださり、お話を聞くことができました。郵便局の仕事などが分かるパンフレットやメモ帳などを頂き、大喜びのこどもたちでした。

子どもたちの質問に丁寧に答えてくださいました。その一部を紹介します。

Q1「どうして、三和町に郵便局が建てられたんですか?」 → A1「昔は、郵便局は、国の役所でした。郵便制度ができたとき、どもにでも手紙が届く仕組みを作ろう、三和(菟原村)にもないとだめだよね、ということで、建てられました。」

Q2「何で自転車もあるんですか」 → A2「昔は、自動車やバイクがなかったので、自転車で配達していたからです。ちなみに、郵便局がたくさんあるのは、自転車で配達できる範囲が限られていたからです。」

Q3「12月になって、みんなが書いたサンタさんへの手紙は、フィンランドまで届けるんですか?」 → A3「郵便物は、基本、世界中に届けることができます。葉書は飛行機で、荷物は飛行機でも船でも届けられます。」

Q4「ポストは、なぜ赤いのですか?」 → A4「実は、よく分かっていませんが、目立つからだと思います。昔(郵便制度を取り入れた明治時代)は、黒色で、材料は木でした。そうすると、トイレと間違える人がいたそうです。」このエピソードは、10年以上前に『世界ふしぎ発見!』というテレビ番組でも紹介していました。明治の人々にとっては、ポストに書いてある「郵便ゆうびん」という言葉に馴染みがなく、「垂たれ便べん」と読み間違えて用を足す人がいたとか…。

Q5「かぼすなどを売っているのは、なぜですか?」 → A5「ちょっと喉が渇いたな、という時に、郵便局に行ったら喉の渇きを癒やしてくれるものが買える、そういう郵便局を目指しているからです。」

Q6「一日に何個の郵便物が届きますか?」 → A6「手紙や葉書は1,500通、荷物は40から50個です。」

Q7「配達の人は、一日にkm走っていますか?」 → A7「一人当たり40からkmで、忙しい時には100kmにもなります。」

Q8「三和郵便局で働いている人は、何人ですか?」 → A8「11人です。」

 質問コーナーが終わると、施設の一部を見学させていただきました。バイク車庫や郵便物の区分棚、郵便局の玄関に掲示してくださっているカラー版の『三和学園だより』、カウンター前に並べられているカレーなどに、子どもたちは興味をそそられていました。

 三和郵便局の皆様に「ありがとうございました。」とお礼を述べ、子どもたちは、バスに乗り込みました。

 最後に、菟原下一うばらしもいちの旧・菟原郵便局に行きました。ここは、江戸時代には、大名が宿泊する本陣でした。明治に入り、菟原郵便局になりました。現在は、民家となっています。吉田先生から、民家で大切の保管されている「菟原郵便局」と墨で書かれた看板を見せていただきました。この看板が掲げられたいたのです。

 菟原郵便局の前の道路は、国道だったので、大正末期から昭和初期には、沿線に三十数戸の民家があり、そのほとんどが商業を営んでいました。近隣はもちろん、兵庫県や梅田村からの客で繁盛していたそうです。

 さて、ここは、郵便局だったので、ポストが設置してありました。どこでしょう?ヒントは、子どもたちが指を指している場所です。

 正解は、下の写真をご参照ください。ポストの土台の石が、留め金と共に今も残されています。

 

 また、郵便局時代に撮られた写真には、まだ人の背丈に満たなかった、玄関前の木が写っているそうです。歴史を実感できるエピソードですね。

 三和の郵便について詳しく学ぶことができました。お世話になった皆様、お忙しい中お時間をつくっていただき、ありがとうございました。

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