今年度も5年国語科『たずねびと』で特別授業を行いました

 9月11日(金)に、5年国語科『たずねびと』で、三和創造学習地域講師の吉田先生に特別授業をお世話になりました。

 『たずねびと』(作:朽木祥)は、現行学習指導要領で追加された教材で、現代を生きる主人公が広島の原爆と平和について考える物語文です。主人公の心の変化を読み取ることがポイントとなる教材です。

 授業の初めに、爆心地付近で採取された「原爆瓦」を取り出されました。吉田先生が約20年前に現地の方から「学校の授業で使ってください。」と頂いたものだそうです。吉田先生は、子どもたちを教卓の周りに集め、間近から観察させました。瓦には、原爆の熱線により、表面が沸騰した跡が残されていました。瓦の沸点は、1,800℃。それを遙かに超える温度によって、瓦の表面がブクブクと泡立った後、冷えてこのような跡になったのです。爆心地から600m以内の屋根瓦は、このようになったのでした。

 「これまで、3年の『ちいちゃんのかげおくり』や4年の『一つの花』で、文字や挿絵からイメージしながら学んできました。「今日の授業では、これまで読み取ってきたことを基礎として、実物や被害者の写真などから、体全体で学んでほしい。」と仰いました。

 『たずねびと』の主人公の「わたし(綾)」は、駅で「さがしています」と書かれたポスターを見ます。原爆供養塔に納められている身元不明の人々の名前が書かれており、その中に自分の名前と同じ「楠木アヤ」を見つけます。綾は、その名前が気になり、兄と一緒に広島を訪ねます。平和記念資料館や追悼平和祈念館を見学し、かつて原爆により多くの人命が失われたことを知り、その悲惨さに衝撃を受けます。

 その後、原爆供養塔で出会った「小さなおばあさん」から、身元の分からない多くの人たちが今も供養されていることを聞きます。綾が同じ名前の少女のことを話すと、おばあさんは、「アヤちゃん、よかったねえ。もう一人のアヤちゃんがあなたに会いに来てくれたよ。」と供養塔に語りかけます。そして、綾に「この楠木アヤちゃんの夢やら希望やらが、あなたの夢や希望にもなって、かなうとええねえ。元気でなごう生きて、幸せにおくらしなさいよ。」と「泣き笑いみたいな表情」で言います。別れ際には綾の手を取り、「どうか、この子のことを――アヤちゃんのことを、ずっとわすれんでおってね。」と、自身の切なる願いを伝えるのでした。

 綾と兄は、日が沈みかけた相生橋に戻ってきます。綾は、「楠木アヤちゃんが確かにこの世にいて、あの日までここで泣いたり笑ったりしていたこと、そして、ここでどんなにおそろしいことがあったかということ――をずっとわすれないでいたら、世界中のだれも、二度と同じようなめにあわないですむのかもしれない。」と思うのでした。

 吉田先生は、広島の地図を子どもたちに配るとともに、綾がたどった広島を「綾がたどった時間帯に合わせて」 撮った写真を見せてくださいました。子どもたちは、配られた地図に線を引きながら写真を見ることによって、綾と自分を重ねながら広島の街をたどり、それぞれの場所での綾の心情を想像していました。

 最後に、原子爆弾について学びました。原子爆弾が通常爆弾と違うところは、熱線、爆風が桁違いに大きいことと、人体に有害な放射線を大量に出すというところです。これらによって、広島では、昭和20(1945)年末までに14万人を超える人々の命が奪われました。

 原子爆弾は、強大な威力をもっていましたが、その大きさはちょうど黒板ほどしかありませんでした。子どもたちは、そのたった一発の爆弾によって多くの人命が失われたことを知り、その恐ろしさを痛感していました。

 被爆者の中には、自身の治療中の写真や手術痕を示しながら、「この爆弾を使ってよいのでしょうか?」と問いかけ、講演活動を続けてこられた方もいました。現在も世界には、広島型原爆を遙かにに上回る威力をもつ核兵器が数多く存在しています。こうした現状を踏まえ、吉田先生は、「5年生だからこそ、いろいろなことを考えてほしい。」と子どもたちに語りかけ、授業を締め括られました。

 吉田先生には、原爆瓦や納骨名簿、『たずねびと』の主人公の足跡に合わせて撮影された広島の写真、被爆直後の写真など、多くの資料を提示しながら授業をしていただきました。今回の授業を通して、子どもたちは、原爆の惨禍や平和の尊さについて考えることができました。子どもたちには、唯一の戦争被爆国である日本に生きる者として、一人一人がこれからも「いろいろなこと」を考え続けてほしいです。吉田先生、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました