6月24日(水)に、6年生が三和創造学習の一環で校外学習に出かけました。今回の学習の目標は、「明智光秀に関わる福知山城や蛇ヶ端御藪など歴史的事象を学び、由良川水運の発展とともに栄えた福知山城下町や治水について学ぶ。」です。訪問先は、福知山城、蛇ヶ端御藪(明智藪)、金刀毘羅神社、御霊神社でした。
まずは、福知山城へ行き、吉田地域講師と合流し、城の内外を案内していただきました。



福知山城は、織田信長の命により天正7(1579)年に丹波を平定した明智光秀が築いた城です。丘陵の上に立つ平山城で、光秀亡き後も改修と増築が進められ、江戸時代の有馬豊氏が城主の時期に完成しました。城郭及び城下町周辺を堀で囲み、それらを一体的に構築した「惣構え」の城だったようで、現在の伯耆丸公園やJR線の辺りとも地続きだったということで、かなり広大な城でした。



築城を急ぐために石垣の石が足りず、城の3里四方(約12km範囲)から、五輪塔や宝篋印塔をはじめ、石仏、石臼、灯籠などの石造物が大量に集められ、石材として石垣に利用されました。これが「転用石」です。天守閣再建時の発掘調査で、500個余りの転用石が確認されました。三和町では、芦渕、下川合、千束、草山が12km圏内に入りますので、これらの地域からも多くの石造物が運ばれていったのではないでしょうか?後で代わりの石を返却したというのが光秀らしいエピソードです。三岳の上佐々木には、その石が残っているとのことです。



明治6(1873)年の廃城令により、天守閣は取り壊され、建物は払い下げられました。堀や池は、堤や土塁、高台だった二の丸を削った土で埋められました。福知山城は、石垣と銅門番所を残して姿を消したのです…。もったいない!
昭和後期になると、市のシンボルとしての福知山城天守閣再建の機運が高まりました。昭和48(1973)年に基本設計図が描かれ、地質調査にも着手。その後、昭和61(1986)年11月9日、ついに三層四階の天守閣が復興しました。建設費の6割以上は、昭和58(1983)年から4年間にわたり、天守閣の瓦1枚分に当たる一口3,000円の寄附、通称「瓦一枚運動」によって集められたもので、約8,500もの個人・団体が寄附したということです。現在の天守内部は、光秀に関する資料や福知山地方の歴史・文化財を紹介する博物館となっています。



天守の最上階から、吉田先生に周囲の地形を解説していただきました。丹波平定後に光秀が取り組んだ治水事業は、福知山の人々にとってとても大きな出来事でした。光秀は、「暴れ川」由良川の洪水を防ぐために、川の流れを90度変え、大堤防を築きました。それが蛇ヶ端御藪です。その大事業が成される前は、洪水が現在の福知山城下から領内へ流れ込んできていました。光秀の治水事業が、後の福知山の発展につながったのです。
天守閣からは、由良川と土師川の合流点や、これから向かう蛇ヶ端御藪を確認しました。そうして、徒歩で蛇ヶ端御藪へ向かいました。



藪の中には、竹をはじめ、様々な木々が生い茂っていました。築堤当時より短くなったとは言え、今でも福知山市街を水害から守ってくれているのだと思うと、光秀の偉業を強く感じました。
京街道から福知山へ入る南の玄関は、京口門という門が築かれ、24時間体制で警備されていたそうです。門の西側には、番所が置かれていました。京口門は、洪水の度に濁流が押し寄せることから、川の監視所も兼ねていました。






丹波と京を結ぶ要衝である福知山は、由良川水運が発展の原動力となりました。江戸時代の中頃には、日本海を通じ大坂や北国と丹波地方を結ぶ船運の拠点として、上船渡、下船渡という2か所の船着場が造られました。昭和61(1986)年までは、その跡が残っていたそうです。



音無瀬橋を越えて、寺町の金刀毘羅神社に来ました。金刀毘羅、金刀比羅、琴平、事比羅、金比羅…と称される神社は、香川県の金刀比羅宮を総本宮とし、大物主神を祀っています。商売繁盛や水難よけなど、いろいろとご利益のある神で、親しみを込めて「こんぴらさん」と呼ばれることがあります。江戸時代に船運が盛んになり、その信仰が広まると、日本各地に分社が建てられました。福知山市の金刀毘羅神社は、由良川の丹後口門近くにあります。鳥居横には、かつて番所があったそうです。
玉垣には、「大阪南御堂前 履物卸商 𠮷川重次郎」「大阪御堂筋 上村重助」といった問屋の名前が幾つも記載されており、大阪商人との関連をここに見ることができました。水害で流された神社を再建するに当たり、大阪商人がその資金を援助したということです。せっかくなので、お参りしてきました。






神社前の道路は、わざと屈曲させています。これは、「遠見遮断方式」と言われるもので、城下町の防護策の一つです。道を屈曲させることで、侵入してきた敵は、先が見えづらい、と言うか、見えません!城下町へ入る重要ポイントである丹後口門には、このような工夫がされていたのです。



この日最後の訪問地、明智光秀が祀られている御霊神社前に着きました。神社前の御霊公園には、昭和28(1953)年9月の台風13号による被害を後世に伝えるために、市街地を覆った水の水位20m69cmを記した標識が建てられています。自分たちの頭上を遙かに超える水位に、子どもたちは、「高過ぎやろ。」と大変驚いていました。



石段を上ると、御霊神社の拝殿に着きました。この後ろに本殿があります。せっかくなので、お参りしました。
明智光秀には、主君である織田信長を倒したことから逆臣のイメージがあります。しかし、由良川の氾濫を防ぐ堤防を築き、城下町建設に当たり地子銭(土地税・住宅税に相当)を免除するなどの善政を行いました。朽木植昌が福知山城主だった宝永2(1705)年、植昌は、現在の福知山市商工会館付近にあった榎の下の稲荷神社に、光秀の霊を合祀しました。それまでは、宇賀御霊神を祀る稲荷神社と、光秀を祀る菱屋町の常照寺と分かれていました。稲荷神社は、光秀を合祀したことから「御霊神社」と呼ばれるようになりました。御霊神社は、広小路の拡張に伴い、大正7(1918)年、現在の地に移設されました。



本殿北脇には、恵比寿神社があり、さらに北側には、堤防神社があります。福知山は、豊かな由良川の流れに多大な恩恵を受けてきました。しかし、由良川は、時として大洪水となり、流域の人々に大きな災害をもたらすことが度々ありました。そこで、治水事業を着々と進めていったことで、次第に水禍から遠ざかっていきました。堤防神社は、治水事業の進展と堤防の愛護と感謝、そのよりどころとして昭和59(1984)年に建立されました。堤防が御神体となっている神社は、全国でも非常に珍しいとのことです。洪水との縁が深い福知山ならではの神社です。



本殿北脇の恵比須神社は、御神体が、光秀の筆による「和久左衛門太夫長利追及下知状」(福知山市指定有形文化財)です。現在、恵比寿神社には、全部で5柱が祀られています。中でもユニークなのが、大正4(1915)年に京都太秦の「蚕ノ社」と呼ばれる木嶋坐天照御魂神社より養蚕大神を迎えて合祀していることです。恵比寿神社の脇には、「蚕乃社」と彫られた石柱が建てられています。福知山で養蚕がいかに大切にされてきたかがうかがえます。



この後、短時間自由に見学する時間が与えられました。その時に子どもたちの心を捉えたのが…そうです!今年も、堤防神社の西側にある叶石でした。「子持ち石」とも呼ばれており、この神社に奉納された霊石であるとのことです。悲願成就の霊験を讃え、誰言うとなく叶石と呼ばれるようになったそうです。多くの子どもたちが石の前で手を合わせていました。しかも今年は、なぜか一人ずつだったのが面白かったです。



最後に、グンゼ株式会社福知山配送センターを見ておきました。ここは、大正期に郡是製糸福知山工場だった所で、平成まで肌着などを製造していました。現在は、製品の倉庫管理、出荷業務などを行っていますが、12月に閉鎖されるそうです。



ここで、今日の学習は終了。お世話になった吉田先生にお礼を言って、さあバスが…来てない!実はこの日、4年の社会見学も同時並行に行っており、4年生を乗せたバスがまだ到着していなかったのです…。
時刻は、間もなく正午。ということは、公園中央に立つ「ふるさと創生シンボル時計」から「福知山音頭」が流れ、からくり人形が飛び出すのです。子どもたちにそうしたギミックがあることを告げると、是非見たい!となり、「バスゆっくり来い。」と願う姿も…。
ちなみにこの時計は、平成3(1991)年3月に設置されました。30分ごとに、ドッコイセ踊り人形4体と、ウサギ、リス、タヌキが現れ、音楽に合わせて動き、公園を訪れる人々を楽しませてきました。ところが、平成26(2014)年6月頃から、人形が故障して動かなくなってしまいました。そして、大規模な修理を経て、平成28(2016)年12月めでたく復活を遂げました。それ以降どうなったのか気になったので、調べてみました。
「YouT○be」の動画を辿ると、このからくり時計の様子がよく分かりました。令和2(2020)年11月には、全ての人形が登場し、音楽を奏でている様子がうかがえました。が、ウサギの左手が動いていませんでした…。令和4(2022)年には、ウサギとリスが修理に出され、動物がタヌキだけとなりましたが、令和6(2024)年5月には、めでたく2匹とも職場復帰しています。その際、ウサギとリスの服装がリニューアルされていました。これで修理完了!と思いましたが、時計塔向かって右上のドッコイセ人形が出てこなくなっていました…。
そうして迎えた令和8(2026)年6月24日(水)、定時より2分遅れで「福知山音頭」が流れ、ドッコイセ人形が…向かって左側しか出ません!ドッコイセ人形が帰って行くと、続いて現れる動物3匹…3匹?ウサギしか出てきてくれませんでした…。クライマックスには、全人形が登場のはずが、向かって左側の人形しかご登場願えませんでした…。それでも子どもたちは、このギミックに感嘆の声を上げ、最後まで見られたことに満足していました。






蛇ヶ端御藪、浸水位標識、光秀を祀る御霊神社、堤防神社。これらを結ぶことで、明智光秀が治水事業に力を注いでいた理由、そして、福知山に残した功績を実感することができた半日でした。今回も大変勉強になりました。吉田先生、ありがとうございました。

