5月15日(金)に、7年生が校外学習で舞鶴へ行きました。目標は、「①舞鶴の戦争中の遺(建物や痕跡)を見学し、学ぶことで命や平和の尊さ、人権意識を高める。/②自分で考えて行動し、思いやりと責任をもって役割を果たすことで、集団として成長する。」の2点です。
体育館で朝の会を行い、皆意気揚々とバスで舞鶴を目指しました。約1時間で舞鶴引揚記念館に着きました。



昭和20(1945)年に 第2次世界大戦が終結しましたが、旧満洲(中国東北部)や朝鮮半島、南太平洋などに、約660万人の日本人が残されました。その人々を速やかに帰国させる「引き揚げ」のために、呉をはじめ順次18港の引揚港が設置されました。舞鶴港もその一つであり、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れました。
舞鶴では、昭和20(1945)年10月7日に最初の引揚船「雲仙丸」が入港してから、昭和33(1958)年9月7日の最終引揚船「白山丸」の入港まで、国内で唯一13年間、約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。
舞鶴引揚記念館は、再び繰り返してはならない「引き揚げ」の史実を未来に伝え、「平和の尊さ、平和への祈り」のメッセージを発信するために、舞鶴市民や引揚者、全国からの支援や協力によって、昭和63(1988)年4月に開館しました。
館内には、シベリアで使用された防寒着や「引揚證明書」などの文書類など、全国から約1万6千点の史料の寄贈を受け、常設展示で1,000点を超える展示が行われています。平成27(2015)年10月10日に、収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
7年生は、貴重な史料を見せていただき、丁寧に説明を受け、一生懸命メモを取っていました。また、抑留者が住まわされていた小屋の実物大模型の中で、その過酷さに共感していました。






続いて訪れたのは、浮島丸殉難の碑で、浮島丸についての詳しいお話を聞かせていただくことができました。
昭和20(1945)年8月24日、日本海軍特設運送艦浮島丸が、舞鶴港にて沈没し、乗組員25名と便乗者549名(判明分)が命を失いました。爆沈の原因は、諸説あります。調査が不十分なため正確なことは不明です。
しかし、多くの命が失われたこと、それが今目にしている舞鶴の海で起こったという事実は、生徒たちに大きな衝撃を与えたように見えました。






校外学習の最後に訪れたのは、青葉山ろく公園にある舞鶴市グリーンスポーツセンターです。ここで、飯盒炊爨によるカレーライス作りをしました。この日に向けて、細かな分担を決めて、備えてきました。中でも火起こしは、重要な役割です。もしも当日「火おこし係」が欠席したとしても、代わりができるようにしていたのです。
班長は、準備から片付けまでの班内の責任者です。
「食事係」は、食材や調理器具の管理をし、食事準備の指示を行います。
「火おこし・美化係」は、薪を分配し、火起こしを管理します。さらに、かまど作りの指示をするという重要な役割があります。かまど使用後は、まきや火の後始末をするとともに、食事後の残飯やごみの後始末、清掃の確認をします。



施設の人に「よろしくお願いします。」とあいさつをして、役割分担に従って、火をおこし、ご飯を炊き、カレールウを作りました。協力し合いながら一人一人が力を発揮できたので、美味しいカレーライスを食べることができました!









食べ終えた後は、片付けも協力してできました。



三和学園に帰ってくると、この日安全運転をお世話になった野口運転手にみんなでお礼を言いました。教室では、振り返りを書きました。



今回の校外学習で学んだことや身に付けたこと、深めた仲間との絆を、今後の学園生活や日々の生活に生かしていきましょう!