4年三和創造学習「三和の伝統文化」その1

 3月4日(水)に、4年生が三和創造学習の一環で校外学習に出かけました。今回の学習では、「①自分の地域にある伝統文化について知る。/②受け継がれてきた意味や、人々の思いについて考える。」です。

 この日の訪問先は、 ①菟原中うばらなか公民館 → ②八幡神社はちまんじんじゃ【菟原中】 → ③天満神社【西松さいまつ】 → ④三和町文化財収蔵庫【千束せんぞく】 でした。

 初めに、菟原中公民館を訪ねると、丹波三和八幡太鼓愛好会の土井様に、地域に伝わる八幡太鼓について教えていただきました。太鼓といえばこれをイメージする長胴太鼓ながどうだいこ(宮太鼓)、リズムの要である締太鼓しめだいこ、細長い板を継ぎ合わせてたがをはめた桶太鼓おけだいこです。説明しながら、それらを叩いて見せてくださるとともに、ばちを持たせて叩かせてくださいました。

 次に、好きな物を叩いてよいと言われたので、子どもたちは、思い思いの太鼓の前へ。締太鼓のリズムに合わせて叩くと、野太い太鼓の音と、腕に伝わる振動が何とも心地良く、もっと叩きたいという気持ちが湧いてきました。太鼓を替えながらいろいろなリズムに挑戦し、和太鼓を堪能することができました。土井様、ありがとうございました。

 菟原中公民館から程近い高台には、龍源寺りゅうげんじに隣接した八幡神社があります。天明3(1783)年の再建棟札さいけんむなふだ(建築物の再建時に、施主や年月日などを記録した木札)が龍源寺住職の筆によるものであることなどから、明治の神仏分離しんぶつぶんり以前は、寺と一体であったようです。

 この社殿のどこかに、百人一首の和歌が飾られていると吉田地域講師に言われ、探す子どもたち。すぐに見つけました。社殿に向かって左側に、紀貫之きのつらゆきの和歌「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 匂ひにおいける」(あなたの本当の気持ちは、どうか分かりません。しかし、昔馴染みのこの場所では、梅の花が昔と変わらず、よい香りを漂わせています。)を見つけることができました。なぜ紀貫之の和歌が掲げられているかというと、貫之は、この神社の祭神の1柱だからです。

 紀貫之(生年不詳~天慶8(945)年)は、平安時代に作られた日本初の勅撰ちょくせん和歌集『古今和歌集こきんわかしゅう』の中心的な撰者として、その編纂に関わりました。また、日本初の日記文学『土佐日記』を仮名で著し、日記文学の先駆けともなった人物です。

 神社を去る時には、朝から降り続いていた雨が上がっており、三和町最高峰、標高548mの鹿倉山しかくらやまを見ることができました。平成31(2019)年3月に閉校した菟原小学校校歌の3番には、「みどりなす鹿倉山を仰ぎつつ 若木もはえる学舎まなびやに やさしく元気にはげむ子の のびるわれらの菟原校」と歌われています。

 4年一行はこの後、西松の天満神社に向かいました。この続きは、また後日お伝えします。

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