3月2日(月)に、4年生が三和創造学習の一環で、大身の廣谷神社で五穀豊穣の願いを込めて踊る「ヤンゴ踊り」について学びました。講師は、ヤンゴ踊り保存会の細見様、辻様、西村様の3名と、吉田地域講師でした。



廣谷神社は、永禄10(1567)年に創建されました。祭神は、天児屋根命と蛭子命です。
社殿の側に大身地区集落センターが建っており、ヤンゴ踊りは、10月の氏神祭の宵宮の日にここで奉納されます。寛政6(1794)年の『丹波志』という地誌に、梅田七社の古神事として「シャラ踊り」という名で紹介されているのが現在のヤンゴ踊りのようです。
『丹波志』は、福知山藩士古川茂正と篠山藩士永戸貞が編纂を始めた丹波6郡の地誌です。多紀郡を永戸が、天田郡・氷上郡を古川が担当しましたが、両名とも志半ばに亡くなってしまいます。古川茂正の子正路が遺稿を校正し、寛政6年に出版しました。ただし、何鹿・桑田・船井の3郡は未完のままでした。未完と言っても、江戸時代における丹波地方史研究の基本文献となるほどの、大変信用度の高い貴重な史料です。郡ごとに神社、村、古城、姓氏、旧栖(土豪の旧宅)、景勝地、産物、仏閣等についての記載がなされています。
「梅田七社」とは、中出の梅田神社を本社として分霊した莵原下の梅田神社、高杉と友渕の春日神社、 多紀郡の本郷と藤坂の春日神社、小原の梅田神社を指します。 中出の梅田神社は、草山一帯を勢力下としていた細見氏の祖先紀忠通を祀っています。梅田七社から、古代豪族紀氏が天田郡から多紀郡へと移動した名残をうかがうことができます。
さて、ヤンゴ踊りは、55歳以上の男性が演者で、紋付き・袴を着て、白足袋を履き、白扇を襟元に差します。笛一人、太鼓一人、ビンザサラ3人の計5人が1組となって、2組が踊ります。円の真ん中に笛が立ち、太鼓とビンザサラが左回りに3周します。1周回るごとに、「ヤンゴー。」と言って、演者は円の内側に向かい、再び広がります。最後は、演者が連なって笛と太鼓に合わせて早足で左回りに回る「三日月締め」で終わります。1組目が終わると、2組目が同様に踊ります。昔は、1組が6周、閏年には7周していたというから驚きです。



講師の皆様にビンザサラや太鼓、笛の鳴らし方を教えていただきながら、4年生もヤンゴ踊りを体験することになりました。やってみると、音は鳴るものの、保存会の皆様の音とは違う…。笛に至っては、音を出すことも難しかったです。子どもたちは、教えてもらいながら熱心にビンササラを振り、太鼓を叩き、笛を吹いていました。ビンザサラは、籾を箕ですくう動きなのだと教わりました。









あっという間に体験の時間が終わりました。最後に細見さんが、「10月の宵宮には、是非見に来てください。」と言われました。三和町の伝統文化を知り、それを伝えていこうとされる皆様の思いを学ぶことができました。細見様、辻様、西村様、吉田様ありがとうございました。


