1月28日(水)に、2年生が加用地区のポスト、三和郵便局、菟原郵便局跡を訪ねました。
明治4(1871)年に東京・大阪間で官営の郵便事業が開始されてから、およそ150年。郵便網は、日本全国に張り巡らされており、人々をつないでいます。
まずは、この日講師をお世話になる加用地区の西山様にみんなで「よろしくお願いします。」とあいさつをしました。次に担任から、ポストをよく観察し、触ってみるよう指示がありました。子どもたちは、ポストの上から下まで興味深く観察し、手で触れていました。そして、ポストが金属製で丈夫に造られていることや、投入口に盗難防止プレートが設置されていること、投函された郵便物が一日に1回取集されることなどを学びました。






子どもたちは、自分たちが書いたはがきを投函する体験をしました。丁度取集時刻に近い時刻だったので、運良く取集場面を見られるかな?と思いましたが、残念ながらそれは成りませんでした。



西山さんに加用地区についてお話しいただきました。加用地区には、現在4世帯8人の方がおられます。昔は40軒あり、様々な行事が行われていたということでした。
薬師堂の扉を開け、加用で大切に保存されている仏像を見せていただき、解説を聞きました。本尊は、鎌倉時代中期に造られた薬師如来像です。薬師如来は、左手に薬壺を乗せていることから、病気からの回復を願う人々がよく来られるとのことです。特に耳の病気を治してくれるので、穴の空いた石に紐を通し供えられていました。この石を「耳石」と言います。高杉の薬師堂でも同様の供え方をしています。






西山さんに「ありがとうございました。」とお礼を述べ、子どもたちは、加用を後にしました。その後、西山さんと少し話したのですが、かつて、加用の子どもたちは、ここから約1時間掛けて川合小学校まで登校していたそうです。その道とは、京都府道521号上川合猪鼻線で、周辺には美しい景観が広がっています。



続いて、三和郵便局を訪ねました。吉田局長が子どもたちの質問に丁寧に答えてくださいました。その一部を紹介します。
Q1「仕事の流れを教えてください。」 → A1「郵便車から郵便物が届くと、それを区分していきます。それらを配達する仕事もあります。」
Q2「郵便局のマークは何を表しているのですか?」 → A2「昔、郵便を管轄していた『逓信省』の『テ』をデザイン化したものです。明治20年(1887年)2」
Q3「三和郵便局の設立はいつですか?」 → A3「明治時代からある郵便局で、『菟原郵便局』という名前でした。昭和58(1983)年にこの建物ができました。今、これを修理しているところで、壁のペンキを塗っています。」
Q4「一日に何人の人が来ますか?」 → A4「10~20人くらいです。」
Q5「配達の時間はどれくらいですか?」 → A5「全部配り終わるのは、午後2時くらい、遅くとも夕方5時には終わっています。」
Q6「一日に何通の手紙が来ますか?」 → A6「1,200から1,500通です。」
Q7「手紙以外の物は、扱っていますか?」 → A7「はい、取り扱っています。お菓子やぶどうなどです。
Q8「大阪など、遠い所への配達は、クルマかバイクのどちらを使いますか?」 → A8「大きな郵便局までクルマで運び、そこからトラックで遠い所へ運びます。」
Q9「バイクは何台あって、それに乗る人は何人ですか?」 → A9「バイクに乗る人は6人、バイクは7台あります。」
Q10「外国への郵便物は、どうやって運びますか?どれくらいの日にちがかかりますか?」 → A10「飛行機や船で運びます。飛行機だと1週間、船だと国によっては1か月かかります。船は、時間がかかりますが、その分料金は安いです。」
Q11「三和郵便局で働いている人は、何人ですか?」 → A11「11人です。」
Q12「あの青い扉は何ですか?」 → A12「従業員の出入口です。」






質問コーナーが終わると、施設の一部を見学させていただきました。バイク車庫や郵便物の区分棚、郵便切手や様々なお菓子などに、子どもたちは興味をそそられていました。






最後に、菟原下一の旧・菟原郵便局に行きました。ここは、江戸時代には、大名が宿泊する本陣でありました。明治に入り、菟原郵便局になりました。現在は、民家となっていますが、ポストの土台の石が、今も残されていました。
菟原郵便局の前の道路は、国道だったので、大正末期から昭和初期には、沿線に三十数戸の民家があり、そのほとんどが商業を営んでいました。近隣はもちろん、兵庫県や梅田村からの客で繁盛していたそうです。






三和の郵便について詳しく学ぶことができました。お世話になった皆様、お忙しい中お時間をつくっていただき、ありがとうございました。