高性能のアンテナ
 「背のびしているよい子」の意味するものについて、もう少し臨床心理学的、発達心理学的に考えてみましょう。

 子どものこころの動きは、とりわけ子どもにとって最も重要な存在である親との関わり方で大きく左右されるものです。子どもにとってその人の存在が重要であればあるほど、当然その人とのかかわりが大きな意味をもってくるわけです。親との関係のなかでどんなふうにして自分のこころが満たされていったかということが、その子ども自身の「生きる」ことへの実感となっていくものと考えられます。

 乳児期の母親(または主たる養育者)との関係で、生理的欲求を充分に満たしてもらい、しっかりと抱いてもらうことの積み重ねのなかで、こころの中に生きることへの安心感と信頼感が生まれ、やがて周囲の人や世界への信頼へと広がっていき、自分自身の存在を肯定的にとらえる気持ちが生まれます。これが対人関係の核となる基本的信頼感の形成であると言えます。

 幼児期になり、歩行が始まると、母親がいなくては、自分一人では生きてはいけないという大きな無力感に襲われ、子どものこころの中に分離不安が高まります。自分の欲求や要求と母親の期待や願いとの違いが生じ、そんなとき子どもは自分を押し通して自立的でありたいと願うのだけれども、母親の承認と愛情が得られるかどうか不安が高まります。

母親との一体感の世界に住むことができていた乳児期には抱かなかった不安です。この不安に直面しても、母親のところに帰り、一緒にいて勇気づけ支えてもらうことができると、子どもはまた再び新しい探検に出かけることができます。だから自分を支えてくれる母親の存在を絶えず確認できるようにするため、母親が自分の方をしっかりと向き、注目してくれることを望むのでしょう。

 この時期に母親に一緒にいてもらい、再び母親との安心できる一体感に包まれることによって、新しい体験のなかで生じてくる自分一人では抱えきれない不安や恐怖の感情を処理できるようになります。
 この繰り返しによって、子どもは母親の愛情や承認を確認し、不安に直面したときには母親の姿がなくても母親のイメージを心の中に思い浮かべることができ、不安を乗り越えることができるようになるのです。
 そうすると、たとえば辛い体験も新しい体験も、それは単にそれだけのことであって、自分自身の存在を脅かしたり破壊したりするものではないと感じることができるようになるのでしょう。
 たとえば友達とつかみ合いの大げんかをしたとしても、それは自分の存在まで否定され見捨てられたということではないと思うことができ、「自身が生きていくこと」に対する安心感、安定感が醸成されていくのです。


 幼少期から言うなれば大人のものさしの世界に暮らしてきた「よい子」である子どもたちは、親から自分に対して向けられる感情に高いアンテナを張り巡らし、非常に敏感であったのだろうと思われます。
 もちろん、親は子どもに限りない愛情を注いでいる事実はそのとおりなのですが、受け取る側の子どもの感受性、あるいは親子の関係性においては、それが充分であったと言い切れないのかもしれません。
 「よい子」には、親の期待や願いに添わない自分は、もしかしたら見捨てられてしまうのではないかという幼児期の不安が、解消され克服されないままに、児童期・思春期を迎えた今、それは姿を変えて形を変えて、その内界には沸々として沸き起こっていることもあるのではないかと考えられます。

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