京丹波町亨徳寺 阿弥陀如来立像の修理が始まりました。

美術工芸・民俗・無形文化財

 京丹波町口八田の亨徳寺こうとくじは、安土桃山時代、天正7年(1579)に創建された曹洞宗の寺院です。江戸時代、元禄元年(1688)に本堂が改築されますが、その後寛政11年(1799)7月に民家の火災によって類焼し、過去帳その他多くの資料がこのとき焼失したとみられます。その後の再建の経緯はつまびらかではありません。

享徳寺の外観

 木造阿弥陀如来立像もくぞうあみだにょらいりゅうぞう(京都府暫定登録文化財)は、この寺の客殿に安置されてきた像高96.3㎝の立像で、抑揚を抑えたおだやかな肉身表現や、彫りの浅い衣文表現に、平安時代後期のいわゆる和様彫刻の特徴をよく示しています。亨徳寺の創建よりも像の作られた年代が古く、当初は近隣の他寺に祀られていたものか、当寺への伝来経緯などは不明です。しかし、造形的特徴から平安時代後期に遡ると推定される阿弥陀如来像の、丹波地域における貴重な遺品のひとつとして、京都府暫定登録文化財に登録されています。

木造阿弥陀如来立像(全図)

 現状、像の頭部と体部の接合が不安定でぐらぐらしており、右足先が外れてしまっています。そして台座を構成する各部材のぎ目がほとんどすべて外れていることから、像を安定して立てることができない状態でした。また、像の各部の部材どうしの隙間が開き、表面に後世に貼られた紙で形状を保っているところも多くありました。左手首先が逆に取り付けられているなど、尊容を損ねているところもありました。

 そこで、京都府、京丹波町の補助、朝日新聞文化財団の助成事業として、今年度から2ヵ年で、本格的な解体修理を行うことになり、今年5月、亨徳寺から京都国立博物館 文化財保存修理所に搬入されました。

細かい部材が組み合わされた左体側

 工房で像の解体修理を始めたところ、この像が、実はかなり細かい部材をたくさん組み合わせて作られていることがわかりました。この像の作られた平安時代後期には、一木割矧造いちぼくわりはぎづくり(頭部・体幹部をひとつづきの材を用い、一度前後に割って、内部を刳り抜いた上で再接合する技法)が一般的でした。この像は、形姿は平安時代後期に一般的なものですが、当時のセオリーに依らない複雑な構造は異例といえます。良材が手に入らない事情があったのでしょうか。今後修理が進む中で、制作背景の解明に向けた手がかりが得られるか、期待されます。

修理中解体写真

                         令和5年9月 美術工芸・民俗・無形文化財係

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