ページの先頭です。
本文をスキップしてメニューを読む

奈良山瓦窯跡(歌姫瓦窯跡・市坂瓦窯跡・音如ヶ谷瓦窯跡・梅谷瓦窯跡・鹿背山瓦窯跡)(ならやまかわらがまあと:うたひめかわらがまあと・いちさかかわらがまあと・おんじょがたにかわらがまあと・うめだにかわらがまあと・かせやまかわらがまあと)

所在地 【歌姫瓦窯跡】木津川市市坂・奈良市佐保台西町
【市坂瓦窯跡】木津川市州見台八丁目
【音如ヶ谷瓦窯跡】木津川市相楽台七丁目
【梅谷瓦窯跡】木津川市梅美台五丁目
【鹿背山瓦窯跡】木津川市大字鹿背山
指定区分 国史跡
時代 奈良
交通 【歌姫瓦窯跡】JR大和路線平城山駅から北東に徒歩約10分
【市坂瓦窯跡】JR奈良駅・近鉄奈良駅からバス「洲見台八丁目」行き終点下車すぐ
【音如ヶ谷瓦窯跡】近鉄京都線高の原駅から東へ徒歩約10分
【梅谷瓦窯跡】JR大和路線奈良駅、近鉄京都線高の原駅からバス梅美台5丁目下車、すぐ
【鹿背山瓦窯跡】JR大和路線木津駅から東へ徒歩約30分
関連サイト http://www.city.kizugawa.lg.jp/vcms/contents.php?id=211

解説

平城京造営に必要な瓦を焼いた瓦は、平城の北に位置する奈良山丘陵で集中的に生産されました。奈良山丘陵では40か所以上の瓦窯跡がみつかっていますが、そのうち、歌姫瓦窯跡・音如ヶ谷瓦窯跡・市坂瓦窯跡・梅谷瓦窯跡・鹿背山瓦窯跡が奈良山瓦窯跡という名称で国の史跡に指定されています。
歌姫瓦窯跡は国道24号バイパスとJR奈良線の通る谷に位置する奈良時代末頃の瓦窯跡です。平城宮の瓦が焼かれました。発掘調査で6基の平窯が確認され、さらに数基の窯の存在が予想されています。
市坂瓦窯跡は木津の町を北に望む段丘の西北に開く小さな谷に立地する奈良時代の瓦窯跡です。ここで生産された瓦は、聖武天皇が平城京を離れて恭仁宮・難波宮・紫香楽宮に遷都した後、再び平城京に遷都した際に、平城宮で使用されました。谷の両側斜面に合計8基の平窯が確認されました。窯の北側の段丘上では、上人ヶ平古墳群の周濠を利用して粘土をこね、瓦を成形し、大型の掘立柱建物で乾燥させるという瓦造りの工程がわかる工房の遺構もみつかりました。上人ヶ平遺跡公園として整備されています。
音如ヶ谷瓦窯跡は木津の西に広がる丘陵裾に立地する奈良時代中頃の瓦窯跡です。この窯では総国分尼寺である法華寺の創建瓦が焼かれました。4基の瓦窯跡のほか、数棟の掘立柱建物がみつかり復元整備されています。
梅谷瓦窯跡は奈良山丘陵の東端に位置する奈良時代初めの瓦窯跡です。この窯では藤原氏の氏寺である興福寺の創建瓦が焼かれました。7基の窯が調査され、当初窖窯であった窯を平窯に改造し、さらに平窯風の窖窯へと再改造するなど、試行錯誤しながら瓦造りを行ってた様子がわかりました。梅谷瓦窯跡緑地として整備されています。
鹿背山瓦窯跡は、鹿背山の南西麓に位置する奈良時代中頃の瓦窯跡です。粘土採掘坑・瓦や粘土を運んだ石敷きの通路・瓦の成形や乾燥を行った建物・瓦窯が揃ってみつかり、瓦生産の工程全体を復元することができる稀有な遺跡です。2基みつかった窯のひとつには、窖窯から平窯に改造した痕跡がみられます。

写真

※写真をクリックすると大きな画像でご覧いただけます

地図

歌姫瓦窯跡

市坂瓦窯跡

音如ヶ谷瓦窯跡

梅谷瓦窯跡

鹿背山瓦窯跡

一覧へ戻る

遺跡一覧

ページの先頭へ
サイトポリシー