点字の採用
 今日世界的に使用されている6点点字は、1829年フランスの盲人ルイ・ブライユによって発明されたものです。日本への紹介は慶応2年の岡田摂蔵による「航西小記」と推定されており、詳しくは明治12年文部省の「教育雑誌」第89号にて説明されました。
 明治19年東京盲唖学校教諭の小西信八を中心にブライユ点字の翻案研究が進められ、明治23年、同校の教諭石川倉次(いしかわ くらじ)による50音点字が採用されました。さらに研究が進められ、明治34年4月22日の官報に掲載された「日本訓盲点字」によって日本点字はほぼ完成をみました。


26「米国ハリソン社製ステレオタイプ・メーカー」



 盲唖院(京都市盲唖院)でも、明治24年に点字が実用化されるようになりました。点字による教材が用いられるようになり、点字印刷機購入の要求が高まりました。しかし1台450円という価格に手が出なかったようです。そこで、寄付運動が起こりこの印刷機が寄贈されました。寄贈者の名がカバー側面に記されています。


27「点字タイプライター各種」



 点字タイプライターは1892年アメリカ・イリノイ盲学校長フランク・H・ホールが完成したといわれています。その後各国で改良が加えられました。
 わが国で最初に製造販売されたものは、1930(昭和5)年、本校同窓会によるアイデアルブレイルライターです。


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