凸字本
 明治8年、東京に訓盲所設立の目的で、古川正雄、中村正直、岸田吟香、津田仙、ボルシャルト、ヘンリー=フォールズが楽善会(らくぜんかい)を組織しました。明治12年、東京築地三丁目に楽善会訓盲院の校舎が落成し、翌13年から授業が開始されました。
 明治8年、楽善会の組織を話し合った前記の人々は、聖書を盲人用凸字に直し、これを教材とするため、凸字本をアメリカに注文することにしました。


14「片仮名凸字聖書」


 最初につくられた凸字聖書は『ヨハネ福音書第九章(盲人開眼の章)』といわれていますが、本校資料室には『盲人片仮字凸字耶蘇山上垂訓』と『同馬可(マルコ)伝福音書下巻』が保存されています。


15「凸字教科書」


 楽善会訓盲院が、大蔵省印刷局に委託して作成された「凸字教科書」は、板に文字を彫り、厚手の和紙を水に浸して軟らかくしたものをその上に置き、上から押さえて文字を浮き出させ、これを乾燥させて作成しました。
 現在、本校資料室に保存されているものは次のとおりです。
 ・盲目児童凸文字習書(明治9年)
 ・療治之大概集三巻
 ・吾嬬筝譜
 ・増訂撫筝雅譜集
 ・伊蘇普(イソップ)物語
 ・橋ヲ渡ル心配
 ・千字文

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