丹後地域の中世城館

 丹後地域では、戦国時代に一色氏と若狭武田氏をはじめとする周辺勢力間での激しい争いが行われるなど、緊迫した歴史の中で数多くの城館が築かれて様々な歴史の舞台となりました。
 このような丹後地域の約580箇所の城館について、『京都府中世城館跡調査報告書』第1冊―丹後編―として、平成23年度に刊行しました。ここでは、丹後地域を代表する城館の一部を紹介します。

 なお、『京都府中世城館跡調査報告書』第1~4冊は、各都道府県教育委員会、京都府内の図書館、各市町(組合)教育委員会等で閲覧できます。

天橋立から丹後府中を望む
天橋立と一色氏の拠点丹後府中
 

丹後地域の代表的城館

今熊野(いまくまの)城跡・阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)城跡

守護一色氏の今熊野城跡と守護代延永氏の阿弥陀ヶ峰城跡が天橋立を望む位置にあります
 

成願寺(じょうがんじ)城跡

『御檀家帳』には三河国より入国した一宮殿である一色九郎が城主との記載のある城館です
 

八幡山(はちまんやま)城跡

『御檀家帳』に「国の御奉行」小倉殿と記載があり、細川氏築造の石垣のある丹後唯一の山城です
 

久美浜(くみはま)城跡

『御檀家帳』に「国の御奉行」伊賀殿と記載があり、久美浜の町並み成立の起点となった城館です
 

弓木(ゆみのき)城跡

『御檀家帳』に大なる城主稲富殿と記載があり、一色氏最後の城ともいわれる城館です
 

意布伎(いぶき)城跡・油池(ゆいけ)城跡

『御檀家帳』に「大なる城主」佐野殿と記載のある、保存状況も良好な城館です
 

島津(しまづ)城跡

丘陵最高所の遺構群と東の支尾根上の遺構群に分かれる、網野町域最大の城館です
 

新治(にんばり)城跡

畝状竪堀をもつ西曲輪群と切岸を防御の主体とする東曲輪群が特徴的な城館です
 

日置上(ひおきあげ)城跡

東西二つの曲輪群に分かれ、西曲輪群には畝状竪堀が存在する大規模な城館です
 

蛇島(じゃじま)城跡

連歌師里村紹巴も立ち寄った記録が残る、舞鶴湾内の小島にある城館です
 

田辺(たなべ)城跡

丹後地域の中心的な城館で、関ヶ原合戦の前哨戦、田辺城籠城戦の舞台となりました
 

峰山陣屋(みねやまじんや)跡

幕末まで存続した峰山藩京極氏の本拠地で、中世にさかのぼる中郡の要地です
 

石川(いしかわ)城跡

『御檀家帳』に石川氏の推す一色氏当主がいたとの記載のある城館です
 

大島(おおしま)城跡

一色氏関連の城跡である可能性が高く、遺構の残存状況も良好で重要な城館です
 

安良山(やすらやま(加悦 かや、有吉 ありよし))城跡

『御檀家帳』に「国の御奉行」石川殿と記載があり、石川氏の本城となった城館です
 

吉原山(よしわらやま)城跡

『御檀家帳』に大なる城主」吉原殿と記載のある、竹野川流域で最も拠点的な城館です
 

三重(みえ)城跡

『御檀家帳』に「大なる城主成吉孫次郎・榎並殿とならんで、「城主」成吉氏の記載もある城館です
 

尾坂(おさか)城跡

『御檀家帳』に「大なる城主也國のゆみやとり」中の坊と記載があり、寺院の武装化がわかる城館です
 

五箇(ごか)城跡

丹後地域で最大規模の城館で、保存状況や縄張り構造からも丹後地域を代表する重要な城館です
 

金谷(かなや)城跡

切岸と堀切が防御の主体ながら畝状竪堀をもつ、久美浜地域で最大級の城館です
 

溝尻(みぞじり(矢野山 やのやま))城跡

溝尻支城跡や堂奥城跡と一体となって機能した、加佐郡最大級の城館です
 

中山(なかやま)城跡

若狭武田氏の侵攻まで一色氏の城館として機能した、由良川沿いに展開する大規模な城館です
 

宮津(みやづ(鶴賀 つるが))城跡・胸壁(きょうへき)跡

細川藤孝(幽斎)・忠興が築城し、京極高広により再建された丹後地域を代表する近世城郭です