京都府立丹後緑風高等学校
久美浜学舎
 

日誌

くみはま探検
2021/01/12

「君の名前は?」久美浜Ver.3

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 身近な風景のなかに潜む「あれ、なんだろう?」にみんなで答えを出しあう掲示コーナー「君の名前は?」久美浜バージョン、第3回目の1葉は、久美浜 in 久美浜。久美浜町一区のメインストリートを写した写真でした。
 今回から、生徒のみなさんが書き入れたモノのいくつかに、図書放送委員会で解説を追記するようにしました。ほんのちょっと詳しく知ることで、もっと知ってみたくなる・・・・・・そんな好奇心の窓が開いたら、ぜひ図書館やインターネットでさらに調べてみてください。


12:00
2020/12/09

くみはま探検レポート③ 『鬼滅の刃』で話題の神谷太刀宮神社を紹介!

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 身の回りの探究学習の種を紹介する「くみはま探検」、第3回は、いま久美浜町でもっともアツイ!と評判の神谷太刀宮神社について紹介します。

 神谷太刀宮神社は、久美浜一区の氏神であり、由緒ある式内社の神谷神社と、「久美浜」の名前の由来のひとつとされる「国見の剣」にまつわる太刀宮神社、ふたつの神社が合祀された、ちょっと珍しい神社です。久美浜駅から歩いて数分の町中にありますが、その参道が江戸時代から変わらない道筋で残されていることも、現代ではたいへん珍しい神社です。さらに、古代に丹後・丹波・但馬一帯を治めた大豪族・丹波道主命を主祭神とする全国で唯一の神社とみられ、まさに丹後地方土着の歴史と文化を現代に伝える名所、旧跡でもあります。
 「太刀宮(たちのみや)」の略称で親しまれる神谷太刀宮神社の神霊「国見の剣」は奈良時代には久美浜湾に沈んだと伝えられていますが、江戸時代にはこれを惜しんだ峰山藩主の京極氏や、久美浜代官所の代々の代官が数々の刀剣を寄進し、明治大正時代に国指定史跡「函石浜遺跡包含地」から出土した刀剣もこの神社に納められたと伝わり、刀剣に縁ある神社です。さらには、境内にある古代の祭祀の跡と考えられている巨岩「磐座」が、いま空前の大ヒットで話題のアニメ『鬼滅の刃』(原作は吾峠呼世晴氏による漫画)の主人公・炭次郎が刀で岩を斬る場面に登場する岩に似ているとして、地元はもちろん、全国からファンが訪れる観光地として連日おおにぎわい、ネットニュースでもたびたび取り上げられるようになりました。地元では「磐座保存会」が発足するなど、地域の人の大切な聖地を守りつつ、地域活性化につながる観光振興を図っています。

 さて、そんな『鬼滅の刃』ブームで大注目!の神谷太刀宮神社の磐座ですが、地元の高校生達にとっては自然の息吹を間近に感じられる、以前から人気のパワースポットでした。一昨年度の久美浜高校1年生(現3年生)の授業「産業社会と人間」で行われた班別調べ学習では、この磐座と神谷太刀宮神社を中心に久美浜町内の見所を取材し、「まちあるきポスター」を作成した班が発表会で最優秀賞を受賞しました。


 この取組はこの年度からスタートした本校の学習成果発表会「寄せN.A.B.E.」でも学年を代表して発表され、高く評価されました。
 久美浜高校・丹後緑風高校久美浜学舎の最大の学びの祭典「寄せN.A.B.E.」は、今年度も2021年1月20日(水)午後に実施予定で、いま、各学年や教科でたくさんの生徒がここでの発表に向けて頑張っているところです。

(第1回「寄せN.A.B.E.」の様子を伝える『久美高だより平成30年度10号』)

 久美浜一区の高校生には身近な磐座、他地域に住んでいると馴染みがなかったかもしれませんが、今回の『鬼滅の刃』ブームをきっかけに訪れた生徒も多いことでしょう。岩の裂け目だけでなく、磐座、神社や境内に伝わる歴史の息吹にも目を向けてみてください。
 神谷太刀宮神社について調べたことは、オンライン百科事典Wikipediaに項目「神谷太刀宮神社-Wikipedia」を作成しています。スマートフォンでも読むことができるので、これから磐座を見に行くという人は、現地で参考にしてみてください。このWikipedia記事の典拠である図書資料は、すべて丹後緑風高校久美浜学舎の学校図書館にあるので、もっと詳しく知りたい人は、学校図書館にも行ってみましょう。
 ちなみに、『鬼滅の刃』の原作漫画は、今年の7月に発行した久美浜高校及び丹後緑風高校久美浜学舎の「先生のオススメ本」でも紹介されており、この秋冬のブームを受けた教職員有志の厚意により、学校図書館で読むことができます! 気になっているけどよく知らない、という人は、ぜひ読みに来てください。

今回作成したWikipedia記事はこちら「神谷太刀宮神社-Wikipedia(初版)」(*現在の版とは内容が異なる可能性があります。)
参考文献(一部)
・『京都府熊野郡誌(全)』京都府熊野郡役所、1923年
・『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
・『京都の社寺建築(与謝・丹後編)』京都府文化財保護基金、1984年
・『久美浜大事典』特定非営利活動法人わくわくする久美浜をつくる会、2015年
読売新聞オンライン2020/12/06配信「まるで「鬼滅」炭治郎が切った岩…「なりきれる」全国からファン 」
12:00
2020/10/29

番外編「古代米を探究しよう!」ーいろいろな探究をやってみよう。

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 今回の「くみはま探検」では、久美浜町からちょっとはなれて、お隣の峰山町に目を向けてみました。みなさんは、峰山町二箇にある「月の輪田」を知っていますか? 稲作発祥の地という伝承が残り、伊勢神宮に奉納される古代米を育てている三日月型の田んぼです。
 昨年度の久美浜高校2年生の探究活動では、この二箇地区から通っている生徒を中心に、「丹後の米」をテーマにした調べ学習が行われていました。そこで、久美高図書館でも「月の輪田」や丹後のお米のルーツを探り、たくさんの文献資料を調査し、「月の輪田」で育てられた3種類の古代米も入手しました。現在それらは学校図書館の「本+物」コーナーで展示しています。


 探究には、文献資料を読む以外にも、いろいろな人への聞き込みやアンケートによる実態調査、観察したり、実験したり、実測したり、計算したりと、様々な手法があります。「古代米」をテーマに、様々な探究の手法を試してみましょう!

 「月の輪田」について知らない!という人はこちらのWikipedia「月の輪田」を、聞いたことあるけど詳しく知りたい!という人はWikipediaに記載してある参考文献と外部リンク先を参照しましょう。

 現在、「月の輪田」で育てられている古代米は、京丹後市弥栄町で20世紀末に復活した古代米の子孫だそうです。弥栄町の古代米は、「月の輪田」だけでなく、全国各地でブームとなっている古代米の先祖でもあります。この古代米復活の経緯は、インターネットで検索しても、まとまって書かれている情報源は2020年10月現在、存在していません。しかし、久美高図書館には、新聞記事や論文などの形でたくさんの関連資料があります。ぜひ、これらの資料を分析し、まとめ、どこかで発表してみませんか?
 授業での探究学習はもちろん、調べる学習コンクールや、オンライン百科事典Wikipediaなど、みなさんの活動の場はたくさんあります。やってみたいけれど、よくわからないことや心配なことがある人は、気軽に図書館や先生に相談してみましょう。


12:00
2020/10/15

「君の名前は?」久美浜Ver.2

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 身近な風景のなかに潜む「あれ、なんだろう?」にみんなで答えを出しあう掲示コーナー「君の名前は?」久美浜バージョン、第2回目の1葉は、田植え後の今年の5月、久美浜町佐野から峰山町に向かう国道沿いの田んぼに降り立ったコウノトリを写した写真でした。通学でみなさんが乗っているバスの道とは違う道でもあり、ちょっとわかりにくかったですね。



 おとなりの町、兵庫県豊岡市で保護活動が続けられてきたコウノトリが数を増やし、2005年に自然復帰を目指す放鳥が開始され15年。久美浜学舎のある久美浜町橋爪地区のすぐ隣の永留地区では、比較的早い段階でコウノトリが飛来したこともあり、コウノトリの餌を増やすような農作業の工夫や、人口巣塔の建設など、コウノトリが過ごしやすい環境を整えてこられました。その甲斐あって、久美浜高校の周辺の田んぼでも、コウノトリを見かけることは年々多くなってきましたが、まだまだ珍しい光景です。



 久美浜学舎の図書館では、コウノトリ放鳥以来、時折新聞で報道されるコウノトリ関連記事をスクラップブックに保管しています。久美浜町で見つかったコウノトリの名前や親子関係も紹介されていたりして、時系列で読んでいくと久美浜町のコウノトリのストーリーがみえ、親近感が増すことまちがいなし。
 登下校の合間に、コウノトリを見かけたら、雄かな?雌かな?何歳かな?名前はなんていうのかな?、とか、いろいろ想像しながら、ぜひ調べてみてください。


12:00
2020/09/09

くみはま探検レポート② 函石浜遺跡を知っていますか?

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 身の回りの探究学習の種を紹介する「くみはま探検」、第2回目は歴代の久美浜高校生も植林ボランティアに参加している「箱石浜」について調べてみました。

 7月、地域の魅力を発見しオンライン百科事典に紹介しよう!という企画で、網野町浜詰地区を歩きました。前回のくみはま探検では、「久美浜」という地名の由来は"久美の郷の浜”であるという説を紹介しましたが、「浜詰」という地名の由来は、久美浜の湊宮から小天橋・葛野浜・箱石浜・浜詰にいたるまでおよそ7㎞続く長い丹後砂丘の東の端、"浜の詰まったところ"であるそうです。「名は体を表す」ということわざの通りですね。
 この約7㎞のロングビーチは、松並木が白砂に映える美しい景観から、1987年に「日本の白砂青松100選」に選出された人気の海水浴場となっています。夏休みには、泳ぎにでかけた人もいるかもしれません。美しい自然を満喫されたでしょうか。

 この久美浜地域の海岸の美しい景観をなす松並木を維持するためのクロマツの植林は、江戸時代に始まりました。戦時中には松ヤニを大量採集したことで、また近年では異常気象により、松の樹勢が弱って松食い虫が大量発生するなど、松並木は幾度も消滅の危機にさらされましたが、多くの地域の人々の尽力で守られ、現在に到ります。
 久美浜高校でも、この自然環境を守る「松林再生プロジェクト」のボランティアに8年前から毎年参加しており、今年も6月18日に、湊宮で松の樹高調査や手入れに生産科学系列の生徒が参加しました。この伝統は、アグリサイエンス科にも引き継がれていくことでしょう。
 「松林再生プロジェクト」は、例年秋には、箱石浜で行われます。

 さて、美しいクロマツの林という自然の宝が広がる箱石浜ですが、じつは地面の下にも素晴らしい宝が眠っていることを、ご存じでしょうか? 海岸クロマツ林の復元研究事業が行われている箱石浜の砂丘は、久美浜町が日本に誇れる歴史的遺産「函石浜遺物包含地」(函石浜遺跡)と呼ばれています。
 函石浜遺物包含地」は、縄文時代から室町時代にかけての各時代の遺物が次々に発見された珍しい史跡です。発見者は、豪商・稲葉本家の12代目当主の兄弟でした。多くの遺物が見つかりましたが、なかでも、古代中国の新王朝(西暦8-23年)の通貨「貨泉」が出土したことから、中国文化の日本への影響を知る手がかりとして大変貴重な場所であるとして、1921年(大正10年)という非常に早い段階で国の史跡に指定されました。

 この古銭は、現在の研究では中世頃まで使用されていて、日本各地で見つかっているのですが、当時は珍しく、国や研究者達の注目が、この箱石浜に集まったことが想像されます。
 松林の手入れ、あるいは海水浴やピクニックに、箱石浜に出かけた時は、青い空と海、緑の松並木だけでなく、足元の地面にもちょっと注目してみましょう。もし、変わった形や模様のある石や鉄片を見つけたら、それは数百年、数千年の時を超えた遺物かも!? あれ?と思うような物を見つけた人は、図書館にある本や顕微鏡で調べてみてくださいね。

【参考文献】

・岩田貢、山脇正資『地図でみる京都ー知られざる町の姿ー』海青社、2019年
・『函石浜遺跡とその発見者たち』京丹後市丹後古代の郷資料館、2006年
・寺報第161号『浜詰村・今昔物語第98話「函石浜遺跡案内」』萬久山福寿院、2009年6月2日発行
・北京都丹後ふるさと検定テキストブック『丹後新風土記』丹後広域観光キャンペーン協議会、2008年
などです。
参考文献はすべて学校図書館にありますので、読んでみましょう。

 

 今回の調査結果の詳細は、こちらに掲載しています⇒ オンライン百科事典Wikipedia日本語版「函石浜遺物包含地(函石浜遺跡)」(初版)




12:00 | 総合学習
2020/07/31

「君の名前は?」久美浜Ver.1

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 ふだん何気なく見聞きし、何気なく素通りしているものごとに、ちょっと注目してみましょう! 身近なところにある探究の種や地域の魅力をみんなとシェアする「くみはま探検」、久美浜学舎の校舎内では身近な1葉の写真を廊下に貼りだし、生徒や教職員が気づいたことや調べてわかったことを自由に書き込む「知の環」のコーナーがあります。

 三人寄れば文殊の知恵。今回はどんな知恵が集結したでしょうか。

 5月下旬の休業明けから6月にかけての1葉は、久美浜学舎の3階にある学校図書館から見える風景でした。「空」「真砂土」「電柱」などの一般的なものから、「トレーニングルーム」「私の家」「アグリサイエンス科の実習室」などの事情通な書き込み、「この川にはタニシがいる」「セグロセキレイが巣を作っている」などの、久美高生でもほとんど知らないような情報も寄せられました。




 久美浜学舎には毎年多くのツバメが子育てに還ってきますが、他にもいろいろな生き物と共生していたのですね。かわいいヒナ鳥が気になりますが、子育ての邪魔をしないように、遠くから見守りましょう。



12:00
2020/06/30

くみはま探検レポート① 「久美浜」の地名について

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 身の回りの探究学習の種を紹介する「くみはま探検」、第1回目は京都府立久美浜高等学校から、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎へと、学舎に受け継がれた「久美浜」という名前について調べてみました。

 

 地名としての「久美浜」は、丹後一宮としてしられる元伊勢籠神社に保管されている古文書『丹州熊野郡久美浜村御検地帳』(1602/慶長7年)に歴史上はじめて登場します。以来、(明治27年)の町制施行まで「久美浜」は村の名前として受け継がれ、その範囲はおおむね現在の久美浜一区にあたります。

 「久美浜」は1955年(昭和30年)に熊野郡内6町村が合併した際に、全体の町名に採用され、ここに一郡一町の熊野郡久美浜町が誕生しました。本校は明治35年に熊野郡立農林学校として開校し、大正12年には京都府立久美浜農学校として「久美浜」の名を冠していますが、その当時はこの学舎の場所は熊野郡海部村字橋爪65番地……まだ久美浜ではなかったわけです。びっくりです。しかし、さらに歴史を遡ると、いや、久美浜学舎の場所はやはり「久美浜」であった!と思われる見解も発見。長い歴史のなかで揺れ動く「久美浜」の名の由来を、順番に紐解いてみましょう。

 

 「久美浜」のもともとの意味は、「久美」の「浜」。「久美」は、日本最古の事典『倭名類聚抄』にも記載される「久美郷」であり、その一地域である「浜」が、もともとの久美浜の範囲であったとみられます。

 「久美の浜」という表記は、中世以前の資料で2例確認できます。ひとつは1285年(弘安8年)に時宗の開祖である一遍上人が丹後の久美の浜で踊念仏を行ったところ、海中より龍の出現を見たという『一遍聖絵』巻第八の記事。もうひとつは1538年(天文7年)の『丹後国御檀家帳』で、久美の浜に500軒の家があったという記述です。


 下の地図を見てみましょう。この地図にある赤い丸の範囲がおおむね『丹後国御檀家帳』に記された16世紀の「久美の浜」です。この範囲に500軒の家があったと想像すると、まるで大都市のようです。
 久美の浜のやや東には「十楽」という恵心僧都源信の『往生要集』に由来する地名が残りますが、歴史学者の網野善彦氏は、十楽は楽市楽座につながる自由な商取引がおこなわれた市場を示すと指摘します。市場が立つ、というのは、それだけたくさんの人が集まった都会の証であり、源信が千体仏を残した伝承をもつ本願寺の境内に立った市場が発展したものと推定されています。




 では、「久美」という地名は? というと、これは古代に遡ります。

 初出は1987年に奈良国立文化財研究所の調査によって平城宮跡から出土した木簡に「丹後国熊野郡久美里」の記載があり、少なくとも8世紀代の資料で存在を確認できる古い郷名でした。

 『熊野郡誌』では、四道将軍の丹波道主命の刀剣「国見剣」に由来し、「国見(クニミ)」が「久美(クミ)」に変化したと記しています。一方、国語の意味から分析すると、「クミ」には「入り組んだ土地」という意味があり、同じ意味をもつ類音に熊野郡の「クマ」があります。久美浜町は、2004年の合併で京丹後市になる前まで、熊野郡に属しました。


 また、古代、丹後半島で一大勢力をもったとみられる南方系海人族の言葉では、クミの「ク」は接頭語、語根は「ミ」にあり、これは「ミミ」の略語であるため、久美浜は正確には「クミミハマ」ではないかと指摘する研究者もいます。彼らが刳り船を操って山陰海岸を東に勢力を広げ、久美浜湾に到達したのは弥生時代後期から古墳時代前期以前ではないかといわれ、丹後半島においては久美浜湾を一大拠点として丹後海人の中核にいたと考えられています。
 その当時の久美浜湾は、現在、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎の建つ海士・橋爪集落のあたりまで、海水が入り込み、湾を形成していました。私たちの学舎から見渡せる広々とした田園風景が、かつては久美浜湾の一部であり、「久美の浜」だったのかもしれません。大陸や南の島から海を越えてきた人々がこの場所から上陸したかもしれないと想像すると、なんだかワクワクしてきますね。

 

 地名「久美浜」について調べた詳細は、オンライン百科事典Wikipediaの「久美浜」に、各記述の典拠を記してまとめました。典拠の資料は、すべて久美浜学舎の学校図書館にあります。
 みなさんは古今東西の「久美浜」から何を感じとるでしょうか。ぜひいろいろ読んだり、調べたりしてみてください。みなさんの気づきを楽しみにしています。

 

【参考文献】

・『星霜 創立百周年記念誌』京都府立久美浜高等学校創立百周年記念事業推進委員会 2003

・『「久美庄から久美浜へ」~中世の久美浜~』平成18年度丹後古代の里資料館秋期特別展示図録、2006

・京都地名研究会『京都の地名検証3 風土・歴史・文化をよむ』勉誠出版、2010

・澤潔『探訪丹後半島の旅(上)』文理閣1982

・吉田金彦、糸井通浩、綱本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013

 ・上田正昭、吉田光邦『京都大事典 府域編』淡交社、1994

 

 今回の調査結果はこちらに掲載しています⇒ オンライン百科事典Wikipedia日本語版「久美浜」(初版)

 

 

(かぶと山展望台からみた、久美浜湾の東部 / 20198月)


12:00 | 総合学習