本隆寺(本堂ほか)

祖師堂 外観(修理前)

祖師堂そしどう【重文】

本堂【重文】《修理完了》

本隆寺ほんりゅうじについて

 本隆寺は、日蓮門下諸宗(にちれんもんかしょしゅう)の一つである法華宗真門流(ほっけしゅうしんもんりゅう)の総本山で、慧光(えこう)無量山(むりょうざん)本妙興隆寺(ほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺と称します。五辻(いつつじ)通りに面して南向きに正門を構え、西陣の家並みに囲まれた土地に本山及び八つの塔頭(たっちゅう)伽藍(がらん)を形成しています。

 創建は長享(ちょうきょう)2年(1488)、妙本(みょうほん)()(現在の妙顕寺(みょうけんじ))の日具(にちぐ)から弟子(にち)(しん)が分かれたことに始まります。翌3年(1489)には、京都四条大宮に堂宇(どうう)が建立されますが、天文(てんぶん)5年(1536)、天文法華の乱により堂宇が焼失、天文11年(1542)に至って、現在の寺地の西隣付近に寺院を復興しました。
 その後、天正(てんしょう)12年(1584)、豊臣秀吉による聚楽第(じゅらくてい)造営に伴い、現在の地に移転しました。

 本堂及び祖師堂(そしどう)は、西陣一帯を焼き尽くした享保(きょうほう)15年(1730)の「西陣焼け」や京都で発生した史上最大規模の火災と言われる天明(てんめい)8年(1788)の「団栗(どんぐり)焼け」など幾多の火災から奇跡的に焼け残ったことから、「焼けずの寺」の異名で親しまれています。また、本堂の一郭に西陣五名水の一つ「千代ノ井(ちよのい)」があります。

祖師堂について

 祖師堂は、本堂の西隣に並立して建つお堂で、江戸時代中期の建立と考えられます。桁行(けたゆき)梁間(はりま)ともに約11・5メートル、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺(ほんがわらぶき)とし、屋根は(しころ)状に段差を付けます。
 平面は(ない)(じん)外陣(げじん)で構成され、内陣の中央(しゅ)()(だん)及び東脇壇(ひがしわきだん)にはそれぞれ宮殿(くうでん)を据えて、日蓮宗の宗祖・日蓮坐像、法華宗真門流の開祖・日真坐像を祀ります。
 京都府内における日蓮諸派本山寺院の中でも最古級の遺構で、古い祖師堂の有り様を示すものとして貴重です。

本堂について

 本堂は、三宝尊(さんぼうそん)題目宝塔(だいもくほうとう)・釈迦如来・多宝(たほう)如来)を本尊とするお堂で、明暦(めいれき)3年(1657)に上棟(じょうとう)しました。桁行21.6メートル、梁間18.8メートル、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の建物で、旧洛中における日蓮諸宗本山寺院の中で最古の本堂です。

本堂 外観(竣工)
祖師堂 小屋組組立状況

修理の内容

 小屋梁こやばり)や床下は蟻害(ぎがい)が進行しており、その結果、一部小屋梁が折損し、建物の維持に支障が生じていました。
 その他、屋根瓦下への雨漏れ、土壁の剥離、内陣彩色塗装の汚損・剥落などの不具合が確認されたことから、小屋組、軒までの半解体修理として工事を実施中です。
 令和7年度は、小屋組・屋根下地の組立を行い、本瓦葺に着手しました。内部は、床組・天井の組立等を進めました。

祖師堂 登裏甲うらごう 矧木補修
祖師堂 内陣天井板 彩色剥落止め
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