淀城跡

伏見城跡に代わる京都守護の城として、松平定綱が築城した淀藩の居城です

淀城跡(改修後)

淀城跡改修前

淀城跡(改修前)

住所:京都市伏見区淀本町ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:17m 比高:6m

概要:宇治川、木津川、桂川、小椋池の出口が合流する中州に築城された近世城郭です。元和9年(1623)の伏見廃城に伴い、京都守護の城として松平定綱に築城が命じられ、淀藩の居城として成立しました。築城にあたっては、伏見城の殿閣天守を用いるようにとの記載が『徳川実記』にあります。本丸と天守台石垣の解体調査では、石材に伏見城跡と共通する刻印が見つかっています。寛永10年(1633)には、洪水対策と家臣団屋敷の確保のために木津川の付け替えが行われ、屋敷地と城下町が拡大しています。

 淀の地は幕府から重要視され、歴代城主はすべて譜代大名が封じられています。幕末には、幕府軍の入城を淀藩が拒んだために城下が焼かれています。

 廃藩後は、周辺の大規模な治水工事の材料として石垣の石材が用いられました。現在は、天守台、本丸、内堀の一部が淀城公園として整備されています。洛中近郊に唯一残る近世城郭として重要な存在です。

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