二条城跡

徳川家康が築き徳川慶喜が大政奉還をした、京都における江戸幕府の拠点となった城館です

住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町

位置:京都府遺跡マップ
標高:40m 比高:0m

概要:徳川家康がかつての聚楽第の南に慶長7年(1602)から本格的に築城を開始した城館です。現在は、全域が国指定史跡に指定されています。家康による築城当初は、堀を周囲に巡らせた単郭の方形居館であったことが「洛中洛外図」(舟木本など)の描写から分かります。慶長19年(1614)の大坂冬の陣、翌年の夏の陣では家康、秀忠の本陣として使用され、元和9年(1624)の伏見城廃城後は、洛中における幕府の拠点としてさらに重要性が増しました。寛永元年(1624)から3年をかけて行われた改修は大規模なもので、現在の姿が完成しています。この改修では、後水尾天皇行幸のための御殿の改修にとどまらず、軍事的にも高度な縄張りに改修しており、伏見城がもっていた軍事的な機能を当城に移すことも目的の一つだったと考えられます。

 当城跡は、寛永11年に徳川家光が宿所として使用した後は、幕末の文久3年(1838)と元治元年(1864)に長州征伐のために将軍徳川家茂が入城、慶応3年(1867)には将軍徳川慶喜から大政奉還上表がなされるなど、数多くの日本史の舞台となってきました。

 当城跡の最大の特徴は、徳川将軍家の京都滞在時の御所を始め、慶長・寛永期の建造物や石垣などの遺構がほぼ完存している点にあります。また、城の周囲に城下町が展開しない点は、近世城郭としての特殊性を示しています。近世京都の都市景観や機能とその発展過程を考察する上で非常に重要な城館です。

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