山崎城跡

羽柴秀吉が天王山の頂上に築城した、京都における秀吉最初の城館です。

住所:大山崎町大山崎古城・弁天谷・青木葉谷・横山ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:270m 比高:260m

概要:桂川・木津川・宇治川の三川合流地に向かって張り出す、天王山丘陵の頂部に位置しています。山崎は、三川が合流し、対岸に男山丘陵が張り出す交通の要衝です。城域最高所の天王山頂部に位置する郭1は、北側が櫓台となっており、この櫓台付近で瓦が採集されています。また、郭1南側の郭5南西斜面には石垣が露出しています。

 文献史料からは、当城跡が応仁・文明の乱から戦国時代まで、西国への要として機能した城であったことがわかります。その後、天正10(1582)年に秀吉による築城が清州会議直後に始まっており、これが現在に残る城跡の遺構となっています。また、『兼見卿記』天正12年(1584)3月25日条の記述からは、天守の存在と当城の破却日が分かります。

 当城跡は、秀吉の居城としての評価のみでなく、室町から安土桃山時代にかけ、摂津・河内への交通の要衝を抑える城館として機能しており、戦国期京都を考える上で、非常に重要な城館といえます。

タイトルとURLをコピーしました