旧二条城跡

石垣や堀をもつ、織田信長が足利義昭のために建造した「武家御城」と記載される城館です

住所:京都市上京区両御霊町、御霊町、近衛町、桜鶴円町ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高47m 比高:0m

概要:京都御苑の西側に位置しており、現地表面には明確な遺構は確認できませんが、発掘調査によって遺構が検出されています。昭和49~56年の発掘調査では、北から出水通、下立売通、椹木通、丸太町通に沿って東西方向の大規模な溝が検出されています。これらの溝は、それぞれ北辺の外堀、北辺の内堀、南辺の内堀、南辺の外堀に比定されており、それぞれの堀には転用石を多用した石垣が使用されています。その他、大規模な素掘溝が2箇所で検出されています。

 当城跡は、文献史料では「公方様御構」、「御構」、「武家御城」と記載されており、織田信長が足利義昭のために建造した城館です。それ以前の当地には、第13代室町将軍足利義輝の武衛陣が置かれていました。フロイスの『日本史』には、城の範囲が3街分あったこと、石材に石仏や石塔を用いたこと、つり上げ橋のある堀をもつこと、この堀に3箇所の入口があったことなどが記載されています。

 当城跡は、石垣の使用や虎口を形成すると考えられる食い違いがみられる点が織豊城郭における画期とされており、城郭史上重要な城館です。

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