笠置城跡

元弘元年(1331)に元弘の変の拠点となり、後に守護代木沢長政が改修した城館です

住所:笠置町笠置笠置山

位置:京都府遺跡マップ
標高:288m 比高:230m

概要:木津川左岸に広がる急峻な丘陵上に位置しています。城域の大部分は、国史跡・名勝笠置山に含まれています。城跡は、丘陵北端の山頂から南方向に緩やかに下る尾根上を中心に曲輪を連続して配置し、尾根の南側に堀切を設けて尾根の北側を城域としています。当城跡は、山岳寺院である笠置寺を利用して作られています。笠置寺の創建には諸説ありますが、奈良時代末期に造られた磨崖仏が存在することから、奈良時代には創建されたとみられます。発掘調査では、鎌倉時代と戦国時代の横堀が検出されています。

 当寺を舞台として元弘元年(1331)に元弘の変が発生します。後醍醐天皇は、8月27日に東大寺別当聖尋を頼って遷幸され、当寺を行在所とされています。戦国時代には、天文10年(1541)7月28日には、山城守護細川晴元の守護代木沢長政が当城に入城しています(『二条寺主家記抜萃』)。

 当城跡は、大規模な山岳寺院である笠置寺を山城として利用したことが、文献史料や発掘調査から証明された良好な事例です。さらに、山城としての利用に歴史上著名な元弘の変が含まれている点も重要です。ただし、発掘調査の成果から、鎌倉時代と戦国時代の遺構が重複していることが判明しており、防御施設として地表面上で確認できる遺構の多くは、戦国時代に改修されたものである可能性が高いといえます。

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