山科本願寺跡

仏国の如しと称され、強固な土塁と横堀で寺内町を取り囲んだ、画期的な寺跡です

住所:京都市山科区西野今屋敷町・西野様子見町ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:42m 比高:0m

概要:宇治川の支流山科川と安祥寺川の合流地の西側平地に位置します。土塁と堀の一部が住宅地の間に断片的に残存し、土塁の一部は山科本願寺南殿跡とともに国史跡に指定されています。山科本願寺跡は、現存する土塁と堀、『山科本願寺旧迹絵図』などの絵図、明治時代の地籍図、大正11年の都市計画図から、土塁と横堀で囲まれた3つの区画で構成されることが判明しています。

 文献史料では、当寺が浄土真宗の本願寺8世蓮如によって築造されたことがわかっています。築造は文明10年(1478)に開始され、文明15年(1483)までに御影堂や阿弥陀堂をはじめとする主要堂舎が整ったことが、蓮如の『御文』の記載からわかります。寺内町も土塁と横堀で囲い込んだ当寺は、洛中にもひけをとらず、「荘厳只如仏国」と『二水記』に記載されるほど繁栄しましたが、天文元年(1532)8月24日に管領細川晴元、近江守護六角定頼、法華宗、延暦寺の連合軍の攻撃によって焼亡したことが『二水記』、『経厚法印日記』、『私心記』などの記載からわかります。強固な土塁と横堀で生活域を取り囲む様相は、城郭史・都市史上においても画期的な事例です。
 当寺跡は、都市化が進んではいるものの、土塁や堀の一部が現存し、発掘調査でも遺構が良好に残されていることが確認されている、非常に重要な遺跡です。

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