峰ヶ堂城跡

寺院から城館へと変化していったことが文献・遺構の両面から分かる城館です

住所:京都市西京区御陵峰ヶ堂ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:187m 比高:150m

概要:小畑川の上流域、桂川右岸の丘陵上に位置し、沓掛から乙訓方面を一望できます。城跡は、大きく4つの曲輪群からなり、最高所に位置する曲輪以外は丘陵の尾根上に曲輪が展開します。北端の曲輪群は京都と亀岡を結ぶ唐櫃越に面しており、土塁を複雑に配しています。 

 当城跡は、当初法華山寺として文献史料に記載されており、鎌倉時代はじめの創建とされています。そして、南北朝動乱期には幕府側の拠点となり、以後たびたび軍勢が駐屯していることがわかります。天文3年(1534)の『東寺百合文書』には、細川晴元が一向一揆に備えて西岡一帯の半済米を「峰城」に留め置くとの記述があり、この段階までに寺院よりも城館として機能が高まっていたことを示しています。 

当城跡は、寺院と城館の関係性が文献からも遺構からも判明する重要な城館です。

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