如意ヶ嶽城跡

重要な合戦の舞台となり、山頂部を取り囲む大規模な横堀と土塁が良好に残る城館です

住所:京都市左京区鹿ヶ谷大黒町、鹿ヶ谷菖蒲谷町

位置:京都府遺跡マップ
標高:465m 比高:385m

概要:東山丘陵の中央部に位置する大文字山の山頂に位置します。当城跡の周辺には、京都と大津を結ぶ如意越えが通り、城跡南側には如意寺の伽藍跡が広範囲に点在します。当城跡は、丘陵の東西に堀切を設けて城域を画しており、城域の中心部は横堀で大きく3つの曲輪に区分されています。当城跡の特徴は、横堀を大規模に使用する点と、曲輪内の平坦面を十分に加工していない点にあります。

 文献史料からは、古くは保元の乱から如意ヶ嶽を舞台とした合戦が多数あったことがわかります。代表的なものとしては、永正6年(1509)に三好父子が立て籠もる中、細川氏、畠山氏、大内氏が攻撃していることが『実隆公記』、『後法成寺尚通公記』、『拾芥記』などに記載されています。また『言継卿記』には、三好長慶や三好三人衆が当地を舞台に合戦を行っていることがたびたび記載されています。
 当城跡は、数多くの重要な合戦の舞台となったことが同時代史料から明らかであり、大規模な遺構が南麓の如意寺跡も含めて良好に残されている重要な城館です。

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