北白川(勝軍山)城跡

幾多の合戦の舞台であることが数多くの文献に記載され、大規模な遺構も良好に残る城館です

北白川城跡全体図

北白川城跡詳細図1

北白川城跡詳細図2

北白川城跡詳細図3

北白川城跡詳細図4

住所:京都市左京区一乗寺大谷ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:310m 比高:210m

概要:慈照寺銀閣の北東、瓜生山の山頂にあり、京と近江を結ぶ山中越の街道筋を眼下に望む位置にあります。城跡は、瓜生山の広範囲に遺構が展開しており、大きく4つの城域に分けて捉えることができます。勝軍地蔵が祀られている山頂部を中心に展開する城域1は、切岸と掘切を防御の主体としています。城域1の東側の頂部を中心に展開する城域2は、土塁が防御の重要な要素となっています。城域2の南側尾根上に位置する城域3は、切岸主体の防御施設ですが、切岸はやや緩やかです。城域1の南側尾根から派生する城域3は、切岸と掘切を防御の主体としており、尾根上に曲輪が階段状に続きます。

 それぞれの城域は独立しており、防御方法や曲輪配置に違いがあることから、本城跡は一斉に築城されたのではなく、時間差をもって構築されたことがわかります。

 当城跡に関する文献は多く、文献上では「北白川」、「勝軍山」などの呼称で登場します。細川高国・晴元の抗争、細川晴元と足利義晴・義藤(義輝)の抗争、足利義輝と三好長慶の抗争、三好長慶と六角義賢の抗争、織田信長方と浅井・朝倉方の抗争など、京を巡る合戦の拠点として長期に渡って機能しています。
 当城跡は、豊富な文献と大規模な遺構が良好に残る、戦国時代京都を考える上で重要な城館です。

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