園部藩関連の城館群

園部藩主小出氏とそれを支えた小畠氏に関連した城館がまとまって残されています

宍人城跡

宍人館跡

園部城跡

<宍人城跡>宍人館(小畠氏居館)跡>

住所:南丹市園部町宍人高原、谷口

位置:京都府遺跡マップ
標高335m 比高:175m

<小畠塚遺跡>

住所:南丹市園部町宍人

位置:京都府遺跡マップ
標高175m 比高:25m

<園部城跡> 

住所:南丹市園部町小桜町

位置:京都府遺跡マップ
標高:145m 比高:15m

概要:園部藩関連の城館群は、園部藩主小出氏とそれを支えた小畠氏に関連した城館群です。

 宍人城跡は、園部川支流の本梅川左岸の丘陵上に位置します。宍人館跡の立地する丘陵の南西にそびえる丘陵頂部を中心に曲輪が展開します。城主は、明智光秀の家臣として丹波攻略にも活躍した在地領主の小畠氏です。小出吉親が最初宍人に居城を築くための検分を行っていたことを示す『御家譜伝記』には、当城跡が古城山として描かれています。

 宍人館跡は、宍人城跡北側の低丘陵の先端に位置しており、大きく南北の曲輪群に分かれています。宍人館跡の特徴は、内容に差異のある南北2つの曲輪群がいずれも良好な状態で残存している点にあります。横矢掛けを用いた土塁や明確な虎口の存在は、織豊系城郭の影響の強いものです。北側の曲輪群は、土塁や櫓台や虎口を用いるものの、実戦的な防御性はあまり高くありません。南側の曲輪群を小畠氏、北側の曲輪群を小出氏の館跡と比定されています。
 園部城跡は、園部川の右岸にひろがる園部市街地の中心に位置します。元和5年(1619)に初代園部藩主小出善親が築造後、江戸時代を通じて陣屋でしたが、幕末から明治維新の動乱の中で明治2年(1869)までに城として修築され、小麦山山頂には三重櫓も築かれました。城跡は、北を園部川、西を半田川で囲まれた小麦山山麓に展開し、藩庁のおかれた本丸は、周囲に横堀を設けて東西南の3方に門を開きます。本丸東辺の櫓門と櫓などが残存しています。
 園部藩関連の城館群は、在地領主支配から近世の藩が成立していく過程を物語る遺構が良好に残る重要な城館群です。

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