蜷川氏関連の城館群

室町幕府の政所代を勤めた蜷川氏の居城蟠根寺城跡と、山麓の蟠根寺跡が良好に残されています

蟠根寺城跡

蟠根寺跡

住所:南丹市園部町高谷寺谷、千妻奥谷ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:320m 比高:190m

概要:桂川と陣田川の間にそびえる丘陵の頂部に位置します。東方向に開けた谷部分には、蟠根寺跡が広がります。
 蟠根寺城跡は、丘陵の頂部を中心に展開しており、石積を伴う虎口が存在しています。虎口の存在は、戦国時代の後半に当城跡が使用されていたことを示す可能性が高いといえます。

 蟠根寺跡は、谷のほぼ全域にわたって平坦面が分布し、谷の中央を通る直線の道周辺の平坦面群と北側尾根上の平坦面群に分かれます。谷部分の直線の道は、その状況から寺院の参道と考えられ、参道の西端に位置し寺域で最大規模の石垣をもつ平坦面Ⅰは本堂跡に比定できます。参道の南北に展開する平坦面群は、寺院の坊跡とみられ、中でも面積の広い平坦面Ⅱが中心的な坊跡であったと考えられます。また、平坦面Ⅱ・Ⅲの東側の比高差が大きいことから、この部分が寺院の一つの区切りであったと想定できます。さらに、北側尾根上の平坦面群は、堀切が存在することから城郭として機能していたことがわかります。これは、寺院が武装化している事例といえ、寺跡の西側丘陵頂部に位置する蟠根寺城跡との関連性が注目できます。

 城主は、『蜷川家文書』などによると蜷川氏であることがわかります。蜷川氏は、室町幕府の政所執事であった伊勢氏の被官であり、政所代の職でした。城跡の周辺は、室町幕府の御料所である桐野河内郷にあたり関係性が注目できます。室町幕府の要職にあった蜷川氏の居城が、山麓の寺院跡も含めて良好に残存している重要な城館です。

タイトルとURLをコピーしました