須知城跡

急峻な山頂に位置し、中心部には古式な石垣をもち、明智光秀の関連が想定できる城館です

住所:京丹波町須知・市森

位置:京都府遺跡マップ
標高:385m 比高:185m

概要:高屋川支流の須知川の右岸に広がる丘陵にあり、須知川の谷から東に派生する谷筋の南側の丘陵頂部に位置します。城跡の北側の谷筋には、短冊状の地割が残る古市という一角があり、城下町の可能性が指摘されています。城跡は京丹波町指定史跡となっています。

当城跡は、郭Ⅰ・Ⅱに石垣・石塁を用いています。石垣は、鈍角に屈曲する4面からなり、南端の面から順番に構築する特徴的な方法で構築しています。石垣構築方法は、近世の城郭では確認できない技法であることから、城郭に普遍的に石垣を用いる技法が確立する以前のものであると考えられます。郭Ⅰ・Ⅱの石塁の端には虎口は存在します。

 文献史料には、観応3年(1352)に南朝方の中津川秀家が「須知之城」を落としたと『中津川秀家軍忠状』にあります。また、須知氏が中心となった国人一揆の拠点に当城を用いたことが『蔭涼軒日録』に記されています。『丹波志』には野間氏の先祖が城主であるとの記載があります。
 当城跡は、石垣と石塁の存在が特徴的ですが、これらは中心部のみに確認できることから、改修で加えられたことがわかります。構造の類似から明智光秀の関与が考えられており、そうした遺構が良好に残されている重要な城館といえます。

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