福知山城跡

明智光秀築城の石垣が天守台に残る、丹波の拠点的な城館の一つです

福知山城跡全形

福知山城跡絵図

住所:福知山市内記ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:40m 比高:20m

概要:由良川と土師川の合流地に張り出す丘陵上に位置し、丘陵上に城館の中心部分を設け、北側に城下町を配しています。

 丘陵の最高所には天守曲輪と本丸を配し、二の丸、伯書丸が西側の尾根上に並びます。丘陵の南側には御泉水とよばれる庭園と蔵や馬屋があり、その西側には内記丸(西の丸)を配しています。城下町は城の北側に展開しており、西側には堀と土塁、北東側は由良川が堀となって惣構を形成しています。石垣は丘陵上の主要部に用いられており、特に天守曲輪の石垣はすべて自然石や多量の転用石を用いた野面積となっています。なお、天守台の石垣は福知山市指定史跡となっています。

 当城跡を築城したのは、天正7年(1579)に丹波を平定した明智光秀と伝えられています。文献史料や地元伝承によれば、光秀は城や城下町を造るために堤防を築いて由良川の流れを変更したといわれています。近世城郭としての当城は、光秀の後、杉原家次や小野木重勝などによって増改築が行われ、有馬豊氏の頃完成したと考えられています。以後城主が転々と替わりながらも、最高12万石の福知山藩主の中心として機能しました。
 当城跡は、城下町をはじめ改変が大きいですが、中心部の天守台周辺は築城以来の構造をよく残しており、丹波地域の要地の一つとして重要な城館です。

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