周山城跡

明智光秀が山上に築き、石垣も完存する大規模な織豊系城郭です

周山城跡全体図

周山城跡東曲輪群中心部

周山城跡西曲輪群

住所:京都市右京区京北周山町ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:480m 比高235m

概要:桂川と支流弓削川の合流点の西側に広がる丘陵上に位置します。城跡は、丘陵の頂部から放射状に曲輪が展開する東の曲輪群と、尾根上に曲輪が連続する西の曲輪群に分かれています。東の曲輪群は、最高所の郭1を中心に石垣を多用し各所に石垣で固められた虎口を設けています。郭Ⅰの中央には、複雑な平面形の穴蔵をもつ天守台が存在します。また、郭1周辺には瓦や礎石が確認でき、瓦葺の礎石建物の存在がわかります。西の曲輪群には石垣は存在しませんが、外枡形虎口が確認できます。当城跡では、石垣を多用する曲輪は郭Ⅰを中心とする中心部に集中しており、周辺の尾根先端の曲輪には石垣をあまり用いない傾向があります。

 文献史料には当城跡の記述はあまり多くはありませんが、『老人雑話』や『丹波誌』からは、明智光秀が城主であり天正8年(1580 )に築城したことがわかります。また、『津田宗及茶湯日記』からは、光秀が津田宗及を招いて月見をしていることがわかります。『兼見卿記』の天正12年2月4日条には羽柴秀吉が入城している記載があることから、この段階まで当城跡が機能していたことがわかります。築城にあたっては多数の住民と寺社から資材・人員を徴発したとの地元伝承が残されています。
 当城跡は、石垣、瓦、礎石建物を用いた織豊系城郭であり、存続期間が短い上に保存状況も良好です。織豊系城郭の実態や近世城郭の成立を考える上でも非常に重要な城館です。

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