位田城跡・位田宮越城館跡

何鹿郡最大規模の城跡で、文献史料から実際の戦闘状況も判明する重要な城館です

位田城跡

位田宮越城跡

住所:綾部市位田町高城・臼谷・大宮塚ほか

<位田城跡>
位置:京都府遺跡マップ
標高:212m 比高:170m

<位田宮越城館跡>
位置:京都府遺跡マップ
標高:212m 比高:170m
概要:由良川と八田川の合流地の北側に広がる丘陵の頂部に位置します。城跡は、丘陵の最高所周辺の曲輪群と南西側尾根の頂部周辺の曲輪群からなり、丘陵全体を城域としています。畝状竪堀を多用している点が特徴的で、戦国時代の後半に使用されたことを示しています。また、位田城跡の南西尾根の先端には、位田宮越城跡があります。位田宮越城館跡は、土塁と横堀をもつ平面方形の曲輪が連続する点が特徴的です。位置関係からみて、位田城跡・位田宮越城跡とも一体的に運用されていたと考えられます。

文献史料からは、延徳元年(1489)より2年間、位田城に籠る荻野・大槻氏を丹波守護代上原豊前守・紀伊守親子が但州・摂州・備州をはじめ13ヶ国の兵を集めて攻めたことが『楞厳寺縁起』の記載から分かります。『北野社家日記』の延徳2年(1490)11月10日条には、籠城側がみずから放火したことを記載しています。城跡に畝状竪堀が存在することから、これらの文献の時期以降も当城跡が用いられていたことがわかります。
 位田城跡・位田宮越城跡は、何鹿郡で最大規模の城跡で保存状況も良好であり、文献史料から実際の戦闘状況も判明する重要な城館です。

タイトルとURLをコピーしました