八木城跡

丹波守護代内藤氏の居城で、残存状況も良好な丹波地域を代表する重要な城館です

八木城跡全体図

八木城跡中心部

住所:南丹市八木町八木内山、亀岡市宮前町神前大谷ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:325m 比高:210m

概要:桂川右岸に広がる丘陵の頂部、尾根、山麓にかけて丘陵全体を城域としています。旧丹波国では、多紀郡の八上城跡、氷上郡の黒井城跡と並んで最大規模の城跡です。
 城跡は、山頂の曲輪群、西側尾根上の曲輪群、南側尾根と谷筋の曲輪群、東側尾根上の曲輪群、北側山麓の曲輪群に大きく分かれています。さらに、城跡のある同一丘陵上には鶴首山城跡があり、内山城跡や家老ヶ岳城跡にも平坦面が確認できます。これらの遺構を含めた範囲が広義な意味で1つの城として機能していた可能性があります。
 当城跡の城主は丹波守護代内藤氏で、丹波国守護所として機能していたために多数の文献に記載があります。中でも松永久秀の弟の内藤宗勝は、三好長慶のもと内藤家を継ぎ、丹波守護代として八木城跡を中心に活発な軍事行動を展開しました。その後内藤氏からは、キリシタンの内藤ジョアンが出ており、ルイス・フロイスの『日本耶蘇会年報』にも当城跡の記載があります。内藤氏の後には明智光秀が入っており、「明智光秀書状」の記載からは当城がこの段階にも機能していることがわかります。石垣を用いた山頂の遺構群や北側山麓の曲輪群は、この段階に改修されたと考えられます。
 当城跡は、文献資料から丹波守護代内藤氏の城跡であることが確実で、遺構の規模も周辺の城跡と比較して圧倒的に大きく、遺構の残存状況も良好な丹波地域を代表する重要な城館の1つです。

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